【本記事の趣旨】
創世記の冒頭に登場する「水」は、混沌の象徴であると同時に、生命の可能性に満ちた原初の素材です。人体もまた、命を宿すために「水」を器として備えた創造物であることを探ります。
はじめに水ありき―生命の器としての体
「地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた」― 創世記1章2節(口語訳)
聖書の創世記は、「はじめに、神が天と地とを創造された」という一文から始まり、「やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた」と記されています。
なぜ最初に「水」が描かれているのでしょうか?
それは、水こそが、生命のはじまりの場、命が宿るための“器”であることを象徴しているからではないでしょうか。
水は生命の起源であり媒介である
現代科学もまた、「生命は水の中から生まれた」という共通認識を持っています。
単細胞の誕生、生物の進化、そして人間の誕生まで、水は常に生命の場を提供してきました。
胎児は羊水に包まれ、約280日を過ごします。
成人の人体の約60〜70%は水分で構成されており、細胞の内外の水が栄養や酸素を運び、老廃物を排出します。
血液、リンパ液、脳脊髄液――すべてがいのちを循環させる水の流れによって成り立っています。
つまり、私たちの体は“水の容器”であり、同時に“水によって生かされている存在”なのです。
「神の霊が水のおもてをおおっていた」の意味
創世記1章2節に登場する「神の霊(ルーアッハ)」は、風、息、霊を意味する言葉です。
神の霊が水の上を覆っていたという描写は、まるで母親が胎児を宿した子宮を温かく守っているような情景を連想させます。
混沌の水の上に創造の意志が臨み、命の準備が静かに進んでいる――それは、人体という“水の器”に、神のいのちの息が吹き込まれようとしている瞬間でもあるのです。
人体構造は神の創造の反映
このように見ていくと、聖書に描かれる天地創造の始まりは、人の体そのものの設計図のようにも見えてきます。
創造の最初に水があり、そこに霊が臨在し、やがて秩序と光と命が現れる。
これはそのまま、人の受胎、発育、そして誕生のプロセスに重なります。
すなわち、創世記は宇宙創造の物語であると同時に、私たち一人ひとりの命の物語でもあるのです。
水はただの物質ではない
科学者たちは、次のような水が持つ不思議な性質に注目しています。
■比熱が高く、熱を蓄えてゆっくり放出する
■他の物質を溶かして運ぶ、溶媒としての力
最近では、「水が情報を記憶する」という仮説まで現れ始めています
つまり、水とは単なる物質ではなく、命のために設計された“媒体”であり、神の秩序を内に秘めた存在かもしれません。
私たちは水を通して神とつながっている
神は、最初に「水」という場を整え、そこにご自身の霊を臨ませました。
私たちの体もまた、水を通して神の秩序を受け取り、体のすみずみまで命のしるしを届けていると言えるでしょう。
日々、私たちの体を流れる水は、神が備えられた創造のしくみの一部なのです。
そしてその体を通して、私たちは神の命と愛に今もつながっているのです。
🌿 次回予告:第2回「光あれ」のとき―体に宿る昼と夜のリズム
昼と夜を分ける「光」の登場は、創造の秩序の始まり。次回は、人の体に刻まれた“光のリズム”と、サーカディアンリズムに秘められた神の設計を探ります。