統一原理講座

み言と「統一思想」から見た「原力」と「万有原力」の関係

1.み言と「統一思想」から見た「原力」と「万有原力」の関係(1)「原力」と「万有原力」の関係について「統一思想」では、「原力」と「万有原力」の関係を次のように説明しています。 宇宙万物はいったん創造されたのちにも、絶えず神から一定の力を受け...
聖書と信仰

聖書に学ぶ悪の誘惑とその克服Ⅱ―第2回 第一の試み

1 最も現実的な誘惑マタイによる福音書4章における第一の試みは、非常に現実的であり、同時に最も理解しやすい形で提示されています。 「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。 (マタイ福音書4章3節)こ...
聖書と信仰

聖書に学ぶ悪の誘惑とその克服Ⅱ―第1回 誘惑に対する勝利のモデル

1 誘惑の克服という主題第Ⅰ部において、創世記3章を通して、誘惑がどのような構造をもって人間に働くのかを見てきました。そこでは、「疑い」「否定」「魅力」「自発的選択」という段階を経て、人間が誤った選択に至る過程が明らかにされました。しかし聖...
聖書と信仰

聖書に学ぶ悪の誘惑とその克服―第5回 現代における誘惑の構造

1 創世記は過去の物語ではないこれまで見てきたように、創世記3章におけるへびの誘惑は、「疑い」「否定」「魅力」「自発的選択」という段階を経て進行しました。この構造は、過去の出来事の記録ではありません。それは人間の内面に働く普遍的な原理を示し...
聖書と信仰

聖書に学ぶ悪の誘惑とその克服―第4回 誘惑による選択を正しいと感じてしまう仕組み

1 悪の誘惑の特徴創世記3章のへびの誘惑を注意深く見ると、決定的に重要な事実に気づきます。それは、へびが一度も「食べなさい」と命じていないという点です。へびは問いを投げかけ、否定を行い、魅力を提示しました。しかし最後まで命令はしていません。...
聖書と信仰

聖書に学ぶ悪の誘惑とその克服―第3回 悪は善を装ってやってくる

1 否定の次に提示されるもの創世記3章におけるへびの誘惑は、「疑い」から「否定」へと進み、そして第3の段階に至ります。それは、新たな価値の提示がなされる段階です。 「それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、...
聖書と信仰

聖書に学ぶ悪の誘惑とその克服―第2回 神のみ言に対する明確な否定

1 明確な否定としての第2段階創世記3章において、へびの誘惑は段階的に進みます。最初の「ほんとうに神が言われたのですか」という問いかけによって疑いを生じさせたあと、次に現れるのは神のみ言に対する明確な否定です。 「あなたがたは決して死ぬこと...
聖書と信仰

聖書に学ぶ悪の誘惑とその克服―第1回 悪の誘惑はどこから始まるのか

1 問いかけで始まる誘惑創世記3章に記されているエバとへびのやりとりは、人間の堕落の起点として知られていますが、この場面は単なる出来事の記録ではなく、「人間がどのようにして誤った選択に至るのか」という構造を明らかにする重要な箇所です。特に注...
聖書に学ぶ礼拝と賛美

聖書に学ぶ礼拝と賛美―第6回 永遠の礼拝

1 礼拝はどこへ向かうのかこれまで本シリーズでは、礼拝と賛美が人間の内面から始まり、救いの出来事を通して現れ、共同体の中で形成され、さらに苦難の中でその本質が明らかになることを見てきました。では、これらの礼拝と賛美は最終的にどこへ向かうので...
聖書に学ぶ礼拝と賛美

聖書に学ぶ礼拝と賛美―第5回 苦難の中の賛美

1 苦難の中の賛美についてこれまで見てきたように、賛美は神との関係の中から自然に生まれるものであり、救いの出来事を受けてあらわれる表現です。しかし、その本質が最も明確に現れるのは、喜びや順境の中ではなく、むしろ苦難の中においてです。順境の中...
聖書に学ぶ礼拝と賛美

聖書に学ぶ礼拝と賛美―第4回 共同体と礼拝

1 礼拝は個人か共同体かこれまで見てきたように、礼拝は神との関係そのものであり、賛美はその関係の中から自然に生まれるものです。しかし、ここで重要になるのは、その礼拝が個人の内面にとどまるものなのか、それとも共同体の中で形成されるものなのかと...