古代の人々は、病気やけがの原因や仕組みをほとんど知らず、医療と呼べるものは、経験則や民間療法が中心でした。
その中で、旧約聖書のレビ記17章11節には、現代医学の知見と一致する一文が記されています。
肉の命は血にあるからである。(口語訳)
この簡潔な一節は、生命と血液の密接な関係を古代の言葉で言い表しています。
原語から見た「命は血にある」
ヘブライ語の原文で「命」は נֶפֶשׁ (nephesh) で、単なる肉体の生命だけでなく、「魂」「生きる力」といった広い意味を持ちます。
「血」は דָּם (dam) で、物理的な血液そのものを指します。
つまり直訳すれば「肉の魂(命)はその血の中にある」となり、生命の本質と血を一体として描いています。
当時の医療常識との違い
古代や中世には、病気を治す方法として「瀉血(しゃけつ)」が広く行われました。
これは、体内の悪い血を抜けば病気が治ると信じられていたためですが、実際には患者を弱らせ、命を縮めることも少なくありませんでした。
そのような時代背景を考えると、「命は血にある」という断定的な表現は極めて先進的です。
現代医学との一致点
現代の生理学では、血液が体内で担う役割は極めて重要です。
酸素や栄養素を全身に運ぶ
老廃物や二酸化炭素を排出する
免疫細胞や抗体によって病原体を撃退する
体温やpHのバランスを保つ
血流が止まれば、数分で生命活動は維持できなくなります。まさに命は血の中にあるのです。
信仰的解釈と意味づけ
信仰者は、この一節を神が与えた生命の神秘を示す啓示と捉えます。
血は単なる体液ではなく、命そのものを象徴するものであり、だからこそ、旧約律法では血を食べることを禁じ、尊いものとして扱いました。
レビ記17章11節の直前の聖句にもそのような記述がありますし、申命記にも同様の聖句があります。
イスラエルの家の者、またはあなたがたのうちに宿る寄留者のだれでも、血を食べるならば、わたしはその血を食べる人に敵して、わたしの顔を向け、これをその民のうちから断つであろう。 (レビ記17章10節)
ただ堅く慎んで、その血を食べないようにしなければならない。血は命だからである。その命を肉と一緒に食べてはならない。あなたはそれを食べてはならない。水のようにそれを地に注がなければならない。(申命記12章23~24節)
批判的見解とその反論
これに対して、次のような批判的な見解もあります。
批判的見解:古代人も出血によって命が失われることを経験的に知っており、この節は単なる観察に基づくもの。
しかし、観察だけでは血液の複雑な機能や生命維持の全体像を理解することはできません。
17世紀にウィリアム・ハーヴェイが血液循環の仕組みを発見するまで、人類は血が体内を循環していることすら知らなかったとされているのです。
それより何千年も前に、「命は血にある」と記された聖書の一節は、現代においても新鮮な意味を持ち続けていると言えます。
レビ記17章11節は、短いながらも生命の神秘と尊厳を力強く語る一節です。