水の大循環―伝道の書とヨブ記が描く循環の不思議

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地球上の生命は、水なしには存在できません。そして、水は常に姿を変えながら地球をめぐっています。

現代では、「水の大循環」として学校で学ぶのですが、聖書は数千年前からそれを詩的に描いていました。

 川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てきた所にまた帰って行く。(伝道の書1章7節)

 彼は水のしたたりを引きあげ、その霧をしたたらせて雨とされる。空はこれを降らせて、人の上に豊かに注ぐ。(ヨブ記36章27~28節)

 

原語から見た水の描写

伝道の書1章7節では、「川(נָהָר, nahar)」から「海(יָם, yam)」に流れる様子が語られ、最後に「帰る(שׁוּב, shuv)」という動詞で再循環を表しています。

また、ヨブ記36章27~28節では、「引きあげる(גָּרַע, gara)」が水の蒸発、「雨(מָטָר, matar)」が降水を意味します。

この二つの描写を合わせると、現代の水文学でいう「蒸発→雲の形成→降雨→河川流入→海→再び蒸発」というサイクルが簡潔に表現されています。

 

当時の自然観との比較

古代の多くの文化では、雨は、神々が天から直接注ぐ水と考えられていました。

水が海から蒸発して雲となり、再び雨として戻るという自然科学的な理解は、ほとんどありませんでした。

そんな中で、聖書に「水は帰る」「引きあげられて雨になる」と記されているのは、きわめて異例です。

 

現代科学との一致点

水の循環は、地球の気候や生態系を維持する重要な仕組みです。

太陽の熱で海水や湖水が蒸発する
上空で冷やされて雲を形成する
雨や雪となって地表に降る
地下水や河川を経て海に戻る

この連続的なサイクルは、降水量や河川流量の変化を通じて、私たちの生活に直接影響を与えます。

聖書の記述は、その全体像を驚くほど簡潔に表しています。

 

信仰的解釈と意味づけ

信仰者は、この循環の秩序を神の設計として捉えます。水は生命を支える恵みであり、その循環は、創造主の知恵と配慮の現れと考えます。

また、これらの節は、詩的表現でありながら、自然界の正確な観察を伴っているため、神の啓示による記述として受け入れることができますが、信仰を持っていない人の中には、次のような反論もあります。

古代人も雨や川の流れを観察しており、それを単に詩として表現したに過ぎない。

しかし、単なる観察だけでは、海が満ちることなく水が再び川に戻る、という全体的な循環構造を把握するのは難しいことです。

これらの聖句は、詩的でありながら体系的な理解を示している点に啓示性があるのです。

科学的な水循環の概念は、17世紀のフランスの科学者ピエール・ペローらによって定量的に説明されました。

しかし聖書は、それよりはるか以前に、自然界のリズムとして水の循環を描いています。

自然科学が進歩した現代においても、聖書のことばは、詩の美しさと真理の深さをあわせ持つことばとして、輝き続けています。

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