夜空を見上げれば、無数の星々が瞬いています。しかし、肉眼で見える星の数は、せいぜい数千個程度です。
古代の人々にとって、「数えきれない星」という表現は、詩的な誇張に思えるかもしれません。
ところが、聖書は、数千年前から星の数の膨大さを強調しているのです。
そして主は彼を外に連れ出して言われた、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい」。また彼に言われた、「あなたの子孫はあのようになるでしょう」。(創世記15章5節)
天の星は数えることができず、浜の砂は量ることができない。(エレミヤ書33章22節)
原語から見た「数えきれない星」
創世記15章5節の「数えることができるなら」は、ヘブライ語で סָפַר (sapar)、「数える」「数を記録する」という意味です。
エレミヤ書33章22節でも同じく sapar が使われ、「できない(לֹא יִסָּפֵר, lo yissaper)」と否定形で強調されています。
つまり、この二つの聖句は、「人間には数え尽くせない」という意味をあきらかに持っています。
当時の天文学的知識
古代の人々は、夜空の星を観察し、その位置や動きを記録してきました。
しかし、肉眼で見える星の数は、晴天でもおよそ6,000個です。
天球の全体像を知ることも、星が銀河系という巨大な集団に属していることも、理解していませんでした。
現代天文学との一致点
現代の天文学では、銀河系に含まれる星の数は、2,000億個以上と推定されます。
さらに、観測可能な宇宙には、数千億以上の銀河が存在します。
星の総数は事実上「数えきれない」といえる規模であり、聖書の表現と見事に一致します。
信仰的解釈と意味づけ
信仰者は、この表現を神の創造の壮大さを示す啓示と捉えます。
神がアブラハムに与えた約束は、単なる比喩ではなく、宇宙の現実のスケールと一致するものとして理解されるのです。
一方で、批判的見解としては、古代人にとっても星は「無限」に見えたので、誇張的に「数えきれない」と表現しただけだという考えもあります。
しかし、古代人の肉眼で見えるのは数えられる範囲だったはずであり、それを超える現実の膨大さは、神からの霊感によるものとしか考えられません。
歴史的意義
天文学が飛躍的に発展したのは17世紀以降、ガリレオが望遠鏡で星雲の奥にも無数の星があることを確認してからです。
それより何千年も前に、「数えきれない星々」と語った聖書の一節は、現代でも驚きをもって受け止められます。
現代の天文学では、その表現が文字通り正しいことを証明しています。
これらの聖句は、信仰者にとって、神の創造の壮大さと約束の確かさを示す一節であり、夜空を見上げるたびに、神とその創造に対する畏敬の念を私たちに呼び起こします。