前回は涙と感情に触れましたが、涙と同じく人間に不可欠なのが「眠り」です。眠りもまた男女の差に影響されます。
女性はエストロゲンの変動によって眠りの質が変わりやすく、男性はテストステロンの低下が睡眠障害に関係します。神は性差を通しても眠りのリズムを刻まれています。
そして人間は、眠らなければ体も心も回復せず、やがて病や不安にさいなまれます。
聖書は「眠り」を単なる生理現象としてではなく、神への信頼と平安の象徴として描き、現代医学は、その背景に「メラトニン」というホルモンが深く関わっていることを明らかにしています。
詩篇に描かれる「安らかな眠り」
詩篇4篇8節には次のような言葉があります。
わたしは安らかに伏し、また眠ります。主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、ただあなただけです。(詩篇4篇8節)
ここでは眠りが、神への信頼と平安の結果として描かれています。
人が心に恐れや不安を抱えているとき、眠りは浅くなり、疲れは取れません。
しかし神に委ね、安心して身を横たえるとき、眠りは真の休息となるのです。
メラトニン―眠りを導くホルモン
メラトニンは脳の松果体から分泌されるホルモンで、睡眠と覚醒のリズムを調整します。
夜になると分泌が増え、体温を下げ、体を眠りへと導きます。朝の光を浴びることで分泌が抑えられ、体は再び活動モードに切り替わります。
しかし、強いストレスや不規則な生活、過剰な光(特に夜の人工光)はメラトニンの分泌を妨げ、不眠や心身の不調を招きます。
眠りを守るためには、心の平安と生活のリズムが不可欠なのです。
不安と眠りの関係
マルコによる福音書の4章で、嵐の湖で舟が沈みそうになる中、イエスが眠っておられた場面があります。弟子たちは必死で叫びますが、イエスは平安のうちに眠っていました。
この姿は、外的な環境が荒れ狂っていても、神への信頼によって心が静まれば眠りが保たれることを示しています。
現代的に言えば、不安や恐怖はストレスホルモン(コルチゾール)を高め、メラトニンの分泌を妨げます。
しかし、信仰によって心が安らげば、メラトニンが自然に分泌され、深い眠りが可能になるのです。
「与えられる眠り」という祝福
詩篇127篇2節にはこう書かれています。
主は愛する者に眠りをお与えになるのだから。(詩篇127篇2節・新共同訳)
眠りは神の祝福そのものであり、私たちの努力だけで得られるものではありません。
多く働いても、思い煩っても、眠りは訪れません。眠りは「委ねる」ことによって与えられるのです。
メラトニンと霊的リズム
人間の体には「体内時計」があり、昼と夜のリズムが刻まれています。このリズムを守るのがメラトニンです。
朝の光と夜の闇という神が創造された秩序が、私たちの眠りを支えています。
創世記1章には「夕となり、また朝となった」と繰り返されます。昼と夜のサイクルは単なる時間の流れではなく、神が人に与えられたリズムなのです。
信仰生活において祈りや礼拝が日々の節目となるように、メラトニンは私たちの体に休息の節目を与えています。
眠りと死の象徴
聖書では、しばしば眠りが「死」の象徴としても用いられます。しかしそれは絶望ではなく、目覚めに続く休息として描かれます。
イエスはラザロの死を「眠り」と表現されました。
それからまた、彼らに言われた、「わたしたちの友ラザロが眠っている。わたしは彼を起しに行く」。(ヨハネ福音書11章11節)
これは、眠りが単なる終わりではなく、新しい命への前触れであることを示しています。
夜の眠りが翌朝の目覚めにつながるように、死もまた復活の命へと続いているのです。
信仰と安眠のつながり
現代社会では不眠に悩む人が増えています。人工光、過労、ストレス、不安…。しかし聖書は、眠りの鍵が「信頼」と「平安」にあることを教えています。
祈りと感謝の生活は、心を静め、副交感神経を整え、メラトニンの分泌を助けます。
科学と信仰の双方から見ても、神に委ねることは最も確かな「安眠の処方箋」なのです。
結びに
眠りは神の賜物であり、人間のいのちを守る祝福です。メラトニンはその仕組みを担うホルモンとして、体に深い休息を与えます。
「わたしは安らかに伏し、また眠ります」という詩篇の言葉は、単なる祈りではなく、実際に体を癒す真理でもあります。
神に委ね、恐れや不安を手放すとき、心は静まり、メラトニンが自然に分泌され、安らかな眠りが訪れるのです。
眠りは信仰の証であり、神の愛の中で与えられる平安のしるしです。