千島・森下学説の柱の一つに「細胞可逆説」があります。これは「断食や飢餓のとき、体の細胞が赤血球へと逆戻りし、そこから再び新しい細胞がつくられる」という主張です。
通常の医学では、分化した細胞は不可逆的であるとされますが、千島学説はそれを覆し、細胞が可逆的に変化できると説きました。
もしこれが真実であれば、人間の体は「飢えや断食」を通してリセットされ、刷新される仕組みを持っていることになります。そして、この視点は聖書の語る断食の意味と驚くほど一致しているのです。
聖書における断食の意味
旧約聖書では、イスラエルの民が悔い改めや祈りを伴って断食を行った記録が数多くあります。イザヤ58章6節では、神が望まれる断食の真意が語られています。
「わたしが選ぶところの断食は、悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るなどの事ではないか。」
断食は単なる食事制限ではなく、魂を解放し、神との関係を新しくする手段でした。
新約聖書でもイエスご自身が荒野で40日間の断食を行い、試みを克服されたことが記されています(マタイ福音書4章)。断食は神への従順と刷新のしるしだったのです。
細胞可逆説と断食の身体的刷新
千島学説によれば、飢餓や断食の際、体の細胞は赤血球に逆戻りします。
赤血球は全細胞の母体ですから、そこから新しい細胞が再び生み出される。つまり断食によって体は「古い自分」から「新しい自分」へと作り直されるのです。
現代でも断食療法やファスティングが注目されるのは、この「体がリセットされる」という実感に根ざしています。
古い細胞が分解され、血に還元され、そこから再び命がつくられる――まさに千島学説の細胞可逆説が示す通りです。
「新しくされる」聖書の約束
聖書は繰り返し「新しくされる」というテーマを語ります。
コリント人への第二の手紙5章17節
「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である」
イザヤ40章31節
「主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。」
断食を通じて体がリニューアルされることと、霊的に新しくされることは、まったく同じ構造を持っています。
断食=肉体のリセット。
悔い改め=霊のリセット。
どちらも古いものを壊して血に還し、そこから新しい命を受け取るという可逆的な働きです。
イエスの断食と十字架
イエスご自身も荒野での断食を通じて試みを超えられました。それは単なる体験ではなく、人類の「古い命」を脱ぎ捨て、「新しい命」を与える準備でした。
最終的にイエスの血は十字架で流され、すべての人に新しい命を与える贖いとなりました。
血が命を再生させるという千島学説の視点から見れば、イエスの流された血は、全人類のための「究極の可逆的刷新」を意味していると受け取ることもできるでしょう。
結論―断食は霊と肉体を新しくする
細胞可逆説は、断食を通して体が赤血球に戻り、そこから新しい細胞を生み出す仕組みを明らかにしました。聖書は断食を通じて魂が新しくされると語ります。
肉体的リニューアルと霊的リニューアルは別のものではなく、同じ原理の二つの現れです。
血によって古いものは壊され、新しい命が造られる。ですから、イエスが「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」(マタイ福音書4章4節)と語られたのは、単に精神的な励ましではなく、命そのものを更新する真理を示していたのです。
断食は、体と魂をともに新しくする神の方法。千島・森下学説は、その肉体的側面を科学の言葉で明らかにしたに過ぎません。霊と肉体が一つに新しくされる――そこに神の創造の奥義があるのです。

