千島・森下学説の核心は「赤血球が万能細胞として働く」という点にあります。
赤血球は単なる酸素運搬のための細胞ではなく、全身のあらゆる組織の母体となり得る存在です。
必要に応じて筋肉や神経、骨や臓器の細胞へと分化していき、場合によっては再び赤血球へと戻ることさえ可能である――この可逆的な循環こそが命を支える仕組みだとされます。
聖書にも、この学説と響き合う表現があります。それがヨハネの第一の手紙5章6〜8節です。
このイエス・キリストは、水と血とをとおってこられたかたである。水によるだけではなく、水と血とによってこられたのである。そのあかしをするものは、御霊である。御霊は真理だからである。あかしをするものが、三つある。御霊と水と血とである。そして、この三つのものは一致する。
ここに登場する「御霊」「水」「血」の三つの証しは、単なる象徴ではなく、命の循環そのものを示唆しているのではないでしょうか。
聖書が語る三つの証し
この聖句は、初代教会から神学的に非常に重視されてきました。
「血」=イエスが十字架で流された血。命そのもの。
「水」=洗礼の水。新しい命の出発。
「御霊」=聖霊。神の息吹としての命。
三つはそれぞれ別々のものに見えながら、実際には一体となって命の証しをなすという、霊的な救いの核心がここに語られています。
千島・森下学説における三つの要素
千島・森下学説の世界では、生命の基盤もまた三つの要素が関わり合います。
「血」=赤血球。万能細胞として全身のあらゆる細胞に分化する。
「水」=体液の基盤。血液も細胞も水なしには存在できない。
「情報(エネルギー)」=御霊に相当する秩序原理。細胞の分化や可逆性を導く。
これら三つが循環的に働くことによって、生命は維持され、絶えず刷新されていきます。
御霊と水と血の一致―千島・森下学説と聖書の交差点
聖書は「御霊と水と血は一致する」と語り、千島・森下学説は「赤血球(万能細胞)・水・情報は循環する」と説きます。
言葉は異なりますが、どちらも「命は三つの要素が一体となって流れ、更新されていく」という真理を示しています。
特に注目すべきは、聖書が「血=命」と語りつつ、それを「水」と切り離さずに語る点です。
水がなければ血は存在せず、血がなければ水は命を保てない。そして両者を導き、秩序づける「御霊」という原理がある。これはまさに生命循環の三位一体の姿です。
命の循環と霊的刷新
千島・森下学説は、腸造血説・赤血球分化説・細胞可逆説という三本柱を通して「命は循環する」ことを示しています。
聖書もまた、救いと復活を「古い自分が死に、新しい命に生まれ変わる」循環として描いています。ローマ人への手紙6章4節にはこう記されています。
すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。
肉体の命も霊の命も、古いものが壊れて血に還り、そこから新しい命が生まれ出る。この可逆的循環が命の奥義です。
結論―三つは一致して命を証しする
御霊と水と血の一致という聖書の言葉は、命が単独ではなく三つの力によって支えられることを示しています。
そして、千島・森下学説もまた、赤血球=万能細胞、水、情報(秩序)の三つが命の基盤を成すことを示しています。
霊的刷新と肉的刷新は分離されたものではなく、同じ原理の両側面です。
御霊と水と血が一体となって命を証しする――それは神の創造に込められた秩序の証拠であり、聖書と科学が一致する場所です。

