聖書は「イエスの血によってすべての人が救われる」と語ります。その血は特定の民族や限られた人々のためのものではなく、万人のために流されました。
一方、千島・森下学説は「赤血球は万能細胞であり、全身を生み出し、更新し続ける源泉である」と主張します。
この二つの理解を重ね合わせると、血が持つ普遍性と循環性が浮かび上がってきます。
イエスの血は万人のために
新約聖書の中心的なメッセージは、イエスの血がすべての人の救いのために流されたということです。
ヨハネによる第一の手紙1章7節
御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。
ヘブル人への手紙9章12節
やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのである。
ここで強調されるのは、イエスの血が時代や民族を超えて、普遍的にすべての人に及ぶということです。血は人を区別せず、命を与える原理そのものとして働きます。
赤血球=万能細胞の普遍性
千島・森下学説によれば、赤血球は体のすべての細胞に分化する母体です。
筋肉も神経も骨も臓器も、赤血球が変化して生まれていきます。そして必要に応じて再び赤血球に戻ることができる――これが細胞可逆説の基盤でもあります。
つまり赤血球は、体のすべてを養い、更新する「普遍的な命の源」です。
特定の器官だけではなく、全身に働きかける存在。それは、イエスの血がすべての人に及ぶという普遍性とよく共鳴しています。
血の循環と命の更新
血液は全身を巡り、酸素や栄養を供給し、不要なものを運び去ります。この循環が止まれば命は保てません。
千島・森下学説の視点を加えるなら、血は単なる運搬役ではなく、新しい細胞を生み出し、古い細胞を赤血球に戻す「更新の循環」を担っています。
腸で新しい血がつくられる(腸造血説)
赤血球が細胞に分化する(赤血球分化説)
細胞が赤血球に戻る(細胞可逆説)
この三段階の循環があるからこそ、肉体は絶えずリフレッシュされ、寿命を全うできるのです。
救いの普遍性と血の循環
聖書が語る「血の普遍性」と千島・森下学説が語る「血の循環性」は、一つの真理を二つの角度から表現しているように思えます。
霊的次元では、イエスの血がすべての人を救う。
肉体的次元では、赤血球が全身を更新する。
どちらも「血が全体を覆い、区別なく命を与える」という普遍的な原理を示しています。
イエスの血が民族を超えて人類を贖ったように、赤血球は臓器や器官を超えて体全体を支えます。血は分け隔てなく、全体に命を行き渡らせるのです。
命は常に新しくされる
血の循環の驚きは、それが「一度きりの出来事」ではなく、日々繰り返される更新であることです。
古い細胞が壊れて血に戻り、そこから新しい細胞が生まれる。このプロセスによって体は絶えず若返り、命を維持しています。
同じように、救いもまた「一度の経験」で終わるのではありません。信じる者は日々、イエスの血によって清められ、新しい命に歩むよう招かれています。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。(コリント人への第二の手紙4章16節)
肉体と霊の双方において、「血による更新」は日々続いているのです。
結論―血は普遍的に命を与える
イエスの血は万人のために流され、すべての人に救いをもたらしました。赤血球は万能細胞として全身を更新し、すべての細胞に命を与えます。
霊的救いの普遍性と、肉体の血液循環の普遍性。この二つは矛盾せず、むしろ互いを映し合っています。
血はすべてを生かし、すべてを新しくする――それが聖書と千島・森下学説が共に示す命の奥義です。

