はじめに
日本で現在広く使われている新共同訳聖書(1987年)と聖書協会共同訳(2018年)。
これらは、カトリックとプロテスタントが協力して翻訳した「共通聖書」です。
しかし、最初から一致していたわけではありません。日本でも、戦前〜戦後にかけては教派ごとに別々の聖書を使用していました。
ここから、どのように共通の聖書へと進んでいったのでしょうか。
戦前:カトリックとプロテスタントの聖書は完全に別物だった
プロテスタントは文語訳(明治訳)、カトリックはヴルガタ(ラテン語)を元に独自翻訳した聖書を使っていました。
基本的に交流も協力もなく、聖書は「教派のアイデンティティ」の象徴でした。
1955年:プロテスタント中心「口語訳」の登場
戦後、日本語が大きく変化したことで、若い人にも読める現代語の聖書をという要望が高まりました。この結果生まれたのが口語訳聖書(1955年)です。
大変読みやすく、多くの教会で採用されましたが、カトリックは不参加でした。
外典(第二正典)が含まれていなかったため、採用できなかったのです。
つまり、口語訳は画期的ではありましたが、教派一致にはつながらなかった、という点が重要です。
1962〜65年:第二バチカン公会議がカトリックの姿勢を変えた
ここが歴史的な分岐点です。
「他教派と共同で聖書を翻訳してよい」
「原語(ヘブライ語・ギリシャ語)から翻訳してよい」
これは、カトリックの長い歴史を根底から変える決定でした。これにより、教派一致の翻訳が可能となったのです。
1967年:日本で共同翻訳プロジェクト開始
日本聖書協会とカトリック中央協議会が合意し、共同翻訳委員会(JTC)が発足しました。
翻訳者には、カトリックの神父・修道者、プロテスタントの牧師・聖書学者が入り、対等な立場で議論が行われました。
1987年:新共同訳が完成し、“共通聖書”が誕生
約20年の協力の成果が新共同訳聖書です。訳文は教派共通で、カトリック版には第二正典を付録として収録(本文は同じ)しました。
日本のキリスト教史で初めて、同じ聖書が共用され、教育現場、教会、書籍などで広く普及し、事実上の標準聖書となりました。
2018年:聖書協会共同訳へ(共同路線継続)
新共同訳から31年、さらに原文の正確さを追求した新しい共同翻訳聖書が刊行されます。
カトリックとプロテスタントが再び共同参加し、日本語としての自然さと正確さを追求しました。日本の共同翻訳体制は今も続いています。
このように、日本における聖書の一致は自然に起こったのではなく、努力の積み重ねで実現されたものです。
日本は、教派の壁を超えて「共通聖書」を作り上げた、世界でも稀な国なのです。

