聖書と進化論の限界Ⅰ―第1回 進化論の哲学的前提とその崩壊―言語存在論が暴く「意味なき宇宙」という虚構

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1. はじめに:進化論を支える“物語”とは?

一般に進化論は、生物学が発展する過程で、自然に生まれた科学理論であるかのように語られます。

しかし、生命の起源、遺伝情報の本質、人間の精神性といった核心部分に踏み込むと、進化論は科学というより、むしろ「世界観としての物語」であることが明らかになります。

進化論は、生命の複雑さを説明しようとする試みではあるものの、その背後には「世界には目的も意味も存在しない」という自然主義的思想が横たわっています。

進化論を正しく理解するためには、この哲学的前提を見抜く必要があります。

なぜなら、この前提を受け入れた瞬間、宇宙も生命も人間も、すべて偶然の産物としてしか扱えなくなり、人間が持つ言語・倫理・霊性といった特徴までも、「目的を持たない過程の副産物」として説明しなければならなくなるからです。

本章では、この自然主義という思想の破綻を、言語存在論――すなわち「言語は意味と意図を前提とする存在の働きである」という視点から明確にします。

そして、進化論が立っている土台そのものが、言語を使う人間の存在と両立しないことを示します。

※言語存在論についてはこちら

 

2. 自然主義――世界を“意味のない現象”に還元する思想

自然主義とは、「世界は物質と偶然だけで構成される」とする思想です。

この立場では、目的、意図、霊的存在、創造主といったものは、学問の射程から排除されます。

つまり、初めから神を除外した世界観を採用し、その枠組みの中で、生命の起源と発展を説明しようとするのが進化論です。

しかし、自然主義は科学的に証明された事実ではありません。

それどころか、「目的の不在」を前提とする自然主義は、世界の秩序や生物の情報構造、そして人間の精神活動を理解するうえで、きわめて不自然な制約を課す世界観です。

自然主義に従えば、人間の心も、言語も、倫理も、すべて偶然の結果とみなされ、意味や目的を語ること自体が非科学的であるとされます。

しかし、人間の存在は“意味と目的の探求”そのものであり、言語はその探求を可能にする最も基本的な能力です。ここに自然主義の最大の矛盾が生じます。

 

3. 言語存在論から見た自然主義の破綻

言語存在論とは、言語を単なる音声の集合ではなく、意味・意図・関係構造を前提とする「存在の根源的な働き」として捉える立場です。

人間が言語を使うということは、人間の認識の中心に、主語と述語による関係把握、抽象的概念の理解、意味の創出と共有、目的や意図を伝達する能力が存在することを示します。

これらは、偶然の積み重ねによって獲得できる能力ではありません。

 

①意味は偶然から生まれない

言語は「意味の体系」です。意味をもつ体系は、必ず意図をもつ主体から生じます。これは文字言語でも、音声言語でも、数学記号でも同じです。

ランダムに文字を並べても文章にはなりませんし、偶然の音の連鎖から言語が誕生することもありません。

ところが自然主義は、「宇宙には意味がない」と主張します。この時点で“言語の存在”と矛盾するのです。

 

②言語は目的世界を前提にしている

言語は、意味が通じることを前提に成立します。意味が成立するためには、語る主体、理解する主体、意図と目的、関係構造が必要です。

これは偶然の過程で生成するものではなく、目的的世界観を前提とする体系です。

したがって、言語を持つ人間が存在する世界は、“意味を持つ世界”でなければ成立しません。

 

③「意味なき宇宙から意味を扱う存在が生まれた」という矛盾

自然主義の世界観では、宇宙には意味がありません。しかし人間は意味を理解し、創造し、共有します。

つまり自然主義は、「意味のない宇宙が、意味を扱う存在を生み出した」という論理矛盾を抱えています。

言語存在論の立場から見ると、この矛盾は致命的です。

人間が意味を扱う存在である以上、世界は初めから意味と意図を備えていなければならず、その源泉としてロゴス(言)を持つ創造主が必然的に想定されます。

進化論の自然主義的世界観は、人間の言語そのものによって否定されるのです。

 

4. 自然主義は科学の成立すら説明できない

自然主義は、宇宙に目的がないと前提しますが、科学が成立するには、宇宙が秩序を保ち、法則に従うという前提が必要です。秩序の存在を説明できない世界観では、科学が成り立ちません。

また、自然主義は人間の理性も偶然の結果だと主張します。しかし、偶然に生まれた能力が、真理を理解できる保証はありません。

もし人間の理性が偶然の産物なら、科学そのものの信頼性が失われます。

進化論は、人間の理性が偶然に生まれたと主張しながら、その理性を使って進化論を「真理」として主張するという自己矛盾を犯しています。

 

5. 聖書の世界観――ロゴスによる創造という必然性

言語存在論が示す「意味の体系」としての世界観は、聖書の創造論と深く一致します。

創世記は神が言葉によって世界を整えたと語り、ヨハネ福音書は「初めに言(ロゴス)があった」と宣言します。

世界がロゴスによって秩序づけられたという理解は、自然界に法則が存在する理由、生命が情報構造を持つ理由、人間が言語や倫理を持つ理由を一貫して説明します。

偶然の積み重ねではなく、「言」から始まった世界だからこそ、言語を用いる人間が存在できるのです。

 

6. 結論:言語存在論は進化論の土台を根底から否定する

言語存在論の立場から見ると、自然主義と進化論は「意味」という概念を理解できません。

人間が言語を持つ限り、世界は意味と目的を持つ存在であり、その中心にはロゴスがあるべきです。

したがって、言語の存在そのものが、進化論の哲学的前提を完全に否定していると言えます。

進化論は、言語を使う人間の存在によって論理的に破綻しています。

創造主による「ロゴスの創造」こそが、宇宙・生命・人間を説明する唯一の合理的枠組みです。

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