聖書と進化論の限界Ⅰ―第2回 生命の起源のパラドックス―情報・意味・秩序は偶然から生まれない

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1. はじめに:生命の起源は進化論の“出発点にして最大の弱点”

進化論は、生物が長い時間の中で変化し続け、やがて複雑な生命体系が形成されたと説明します。

しかし、どれほど精密な進化論モデルを構築しても、決して避けられない核心的な問題が一つあります。

それは、「生命そのものがどのように誕生したのか」という問いです。

生物が変化する以前に、そもそも生命はどこから生じたのか。進化論は、既に「生命が存在している」という状態を前提として議論を始めます。

つまり、生命の起源は進化論の外側に置かれ、科学的説明の対象になっていません。

この問題は単なる“未解明の領域”ではなく、生命とは何かという本質に関わる重大な矛盾をはらんでいます。

 

2. 生命とは「情報体系」である―偶然の反応では説明できない構造

現代生物学は、生命の基礎をなす分子レベルの構造を明らかにしてきました。

その知見が示すのは、生命が単なる化学反応の集合ではなく、緻密に組織化された情報体系であるという事実です。

DNAには、細胞の振る舞いを決定する膨大な情報が格納され、その情報は複雑な翻訳機構によってタンパク質へと変換されます。

さらに、それらの分子は互いに精密な関係性の中で機能し、一部が欠けても全体が成立しません。

このような高度な情報構造が、偶然の化学反応から自然発生することは不可能です。

文字を無作為に並べても文学作品にはならないように、情報体系は偶然から生まれません。

生命の核心は「意味と秩序を持つ情報」であり、化学物質の集合体ではないのです。

ここで、言語存在論が重要な視点を与えます。すなわち、情報とは、必ず意図をもつ主体が与える「意味の体系」 であるという点です。

意味のない現象が意味を生むことはなく、秩序のない状態から秩序が立ち上がることもありません。

生命は最初から「意味」を持っており、偶然や無秩序を前提とする世界観では、生命の誕生を説明することはできません。

 

3. 生命の最初の一歩は“偶然”では不可能―非生命から生命への飛躍を阻む壁

生命の起源を説明する学説は多く提案されていますが、どれも核心部分に踏み込めていません。

伝統的な「原始スープ説」や「化学進化説」は、実験的裏付けがなく、理論として破綻しています。

非生命から生命へ至るには、情報の誕生、情報を読み取り、翻訳し、利用するための装置、自己複製に必要な構造、外界との境界(膜)の形成が必要です。

これらの要素は、どれか一つだけが存在しても意味がありません。すべてが同時に、整合的に機能し始めなければ生命は成り立たないのです。

偶然の積み重ねで「情報」「翻訳装置」「膜」「代謝」がそろう確率は、天文学的数字を超えて“ゼロ”に限りなく近いと言えます。

つまり、生命の最初の一歩そのものが、自然主義の枠組みでは説明できないのです。

※原始スープ説
太古の海に存在した有機物を含む“スープ状”の環境で、雷や紫外線などのエネルギーによって最初の生命のもととなる分子が自然に合成されたとする生命起源説のこと。

※化学進化説
生命は最初から生物として出現したのではなく、無機物→有機物→自己複製分子→原始的細胞へと、段階的な化学反応の積み重ねによって自然に生じたとする生命起源の仮説。

 

4. “意味”の起源はどこにあるのか―言語存在論から見る生命=ロゴスの反映

DNAは単なる化学鎖ではなく、「意味」を持つ情報体系です。ここで重要なのは、意味の起源は物質からは生まれないという事実です。

言語が意味をもつのは、それを使用する主体が意図を込めるからです。

同じように、生命の情報も、意図と目的をもつ主体が与えなければ、意味の体系にはなり得ません。

言語学と情報科学の視点から見れば、「情報は必ず知性から生じる」というのは普遍的原理です。

生命が情報体系である以上、その起源はロゴス(言)をもつ創造主に求められます。これは聖書が語る世界観と驚くほど一致します。

創世記を見れば、「神はまた言われた」とあり、ヨハネによる福音書は「初めに言(ロゴス)があった」(1章1節)と宣言します。

生命が情報に基づいて形成されているという現代科学の発見は、聖書の創造論の正しさを強力に裏づけています。

 

5. 進化論が避け続ける“生命誕生の瞬間”―進化論は生命の起源を説明していない

進化論を支持する多くの論者は、生命の誕生の瞬間に関して「科学はまだ完全には解明していない」と述べ、将来的に解明されるだろうという“期待”を表明します。

しかし、この期待は科学的根拠に基づくものではなく、自然主義的世界観を維持するための思想的要請に過ぎません。

生命における「意味」「情報」「目的」「秩序」「相互作用」といった本質的要素は、偶然や自然法則の自動的作用から生じることはありません。

むしろ、生命の根幹が複雑であればあるほど、偶然を前提とする説明は困難になります。

多くの進化論者が生命の起源に触れたくない理由は、この問題が進化論全体を直ちに崩壊させるほど重大だからです。

生命の起源が偶然では説明できない以上、生命そのものが神の創造によって与えられたと理解する方がはるかに合理的です。

 

6. 結論:生命の起源は“偶然”ではなく“ロゴス”である

生命とは、意味と情報をもつ存在です。意味と情報は偶然から生まれず、知性と意図をもつ主体によって与えられます。

生命の誕生は、自然主義の枠組みで説明するにはあまりにも複雑であり、その情報体系は、言語に似た構造を持っているため、言語存在論が示す「意味の起源は知性にある」という原理と完全に一致します。

偶然の積み重ねでは生命は誕生せず、生命の起源はロゴスによる創造であるという結論に至るのは、科学的にも哲学的にも必然です。

生命とは、神の言(ロゴス)が形を取って現れたものにほかなりません。

創世記とヨハネ福音書が示す創造の言葉は、現代生物学と情報科学によって力強く裏づけられているのです。

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