聖書とホルモンの働き―第5回 涙と感情・エンドルフィンと詩篇

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人は喜びを笑いで表し、悲しみを涙で表します。男女の性差を形づくるホルモンも、この感情表現に影響を与えています。

一般に女性はエストロゲンの影響で涙を流しやすい傾向があり、男性はテストステロンの影響で涙を抑えがちだとされます。しかし、どちらの涙も神の前で尊ばれています。

人間は感情を持つ存在です。喜びに笑い、悲しみに涙する。この「涙を流す」という行為は、一見すると弱さの表れのように見えるかもしれません。

しかし現代科学は、涙が心と体に癒しをもたらす働きを持っていることを明らかにしています。その背後に関わるのが「エンドルフィン」と呼ばれるホルモンです。

聖書もまた、涙を通して神が人間を慰め、癒される道を示しているのです。

 

涙とエンドルフィンの働き

科学的に見ると、涙を流すことは単なる感情表現ではありません。

泣くことで副交感神経が優位になり、体がリラックス状態へと導かれます。その過程でエンドルフィンが分泌され、心の痛みを和らげるのです。

エンドルフィンは「脳内モルヒネ」とも呼ばれ、鎮痛作用や多幸感をもたらします。

つまり涙は、苦しみを軽くし、心を慰め、再び立ち上がる力を与える生理的な仕組みなのです。

 

涙は癒しの種となる

詩篇126篇5節にはこう書かれています。

 涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。(詩篇126篇5節)

涙は決して無駄ではありません。悲しみの中で流される涙は、やがて喜びに変わる種です。

涙が心の痛みを浄化し、エンドルフィンがその人を癒すことで、人生は新たな実りを迎えることができます。

 

イエスと涙

聖書の中で、イエスご自身も涙を流されました。ヨハネによる福音書の11章35節には有名な短い言葉があります。

 イエスは涙を流された。(ヨハネ福音書11章35節)

ラザロの死を悲しむ人々と共にイエスが涙された場面です。ここには、悲しむ者と共に悲しむ神の姿が表されています。

同時に、この涙は希望の前触れでした。なぜなら、この後イエスはラザロをよみがえらせるからです。

人間の涙は終わりを意味しません。涙は新しい命へとつながる通過点です。

 

涙と共同体の慰め

涙は一人で流すものでもありますが、共同体の中で共に涙することは、さらに大きな癒しをもたらします。ローマ人への手紙12章15節にはこうあります。

 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。(ローマ人への手紙12章15節)

共に涙を流すとき、オキシトシンやエンドルフィンが分泌され、人と人との絆が深まり、心が癒されます。

涙は個人の浄化であると同時に、共同体の絆を固める働きも持っているのです。

 

涙は神によって拭われる

ヨハネの黙示録21章4節には、終わりの日に神が人に与える慰めがこう描かれています。

 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。(ヨハネの黙示録21章4節)

ここに至るまで、人は涙を流し続ける存在です。しかしその涙は決して無意味ではなく、癒しをもたらし、やがて神ご自身の手によって完全に拭い去られるのです。

 

結びに

涙は弱さの象徴ではなく、癒しの扉です。涙を流すことでエンドルフィンが分泌され、心が慰められ、再び立ち上がる力を得ます。聖書は涙を尊いものとし、神がそれを覚えておられると語っています。

人は誰もが涙を流します。しかしその涙は、神によって喜びに変えられる種です。涙は癒しの力を持ち、やがて喜びの刈り入れへと導かれるのです。

「涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る」――このみ言は、涙の意味を知るすべての人への励ましです。

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