【日本の聖書①】カトリックとプロテスタントで共通の聖書を採用しているのは世界で日本だけ?

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はじめに

世界には多くの国があり、多くのキリスト教徒が聖書を読んでいます。

しかし驚くべきことに、「カトリック」と「プロテスタント」が同じ翻訳聖書を使っている国は、世界でもほとんど存在しません。

歴史的に見ても、聖書の扱いは教派の違いを象徴してきました。

翻訳の方向性、本文の構成、第二正典(外典)を含めるかどうかetc…教派ごとに姿勢が異なるからです。

ところが、日本では、新共同訳(1987年)→聖書協会共同訳(2018年)という流れにより、カトリックとプロテスタントが「同じ翻訳聖書」を共用しています。

この現象は、日本のキリスト教界が世界でも特異な存在であることを物語っています。

 

世界のキリスト教は聖書がそれぞれ

多くの国では、次のように教派で聖書が分かれています。

特に、カトリックは「第二正典(外典)」を含めるため、本文構成が異なります。

一方、プロテスタントは、それを正典として認めない教派が多く、そもそも聖書の冊数が違うのです。

つまり、「同じ翻訳」を使うためには、正典認識から一致しなければならないのです。これは、簡単なことではありません。

 

日本は「翻訳段階で協力」している点が異常に珍しい

日本の新共同訳と聖書協会共同訳は、翻訳委員会にカトリックとプロテスタント双方が参加し、同じ本文を使うことを前提に作られました。

カトリック版には第二正典が付録として収録されますが、本文の翻訳そのものは完全に共通しており、学校、教会、出版物で全国的に広く共用されています。

世界でも、本文が同じ翻訳聖書を使っている国は、実質的に日本だけです。

 

なぜ日本だけ共用できたのか?

理由は、とても現実的です。

①キリスト教徒の人口が少ないこと
教派が別々に聖書を用意していては宣教にも教育にも非効率。

②多くの教派が同じ環境に共存していたこと
学校教育、神学教育、出版などで共用が進みやすかった。

③日本聖書協会の存在が大きかったこと
調整役となって共同翻訳を主導した。

「一致しないと双方が発展できない」という環境が、日本では整っていたのです。

 

結論:日本の「共通聖書」は世界的にも珍しい成功例

世界では、教派ごとに聖書が違うのが普通です。しかし日本では、教派を超えた共通翻訳が成立しています。

翻訳段階から協力し、本文を共用している例は、日本がほぼ唯一です。

日本の聖書翻訳は、世界が注目するエキュメニカル(教派一致)の象徴となっています。

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