創世記とポラック博士の「第四の水の相」―水と光から始まる生命の神秘

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聖書の創世記の冒頭には、天地創造の驚くべき描写が記されています。

 はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。神は「光あれ」と言われた。すると光があった。(創世記1章1〜3節・口語訳)

この聖句を読むと、世界の始まりにおいて、「水」と「光」が特別な役割を果たしていたことが分かります。

天地創造の物語で最初に登場する物質的存在が「水」であり、最初に神が呼び出したエネルギーが「光」であるという順序は、偶然とは思えません。

一方、現代科学の一部では、水に関する新たな研究が進展を見せています。その代表的な例の一つが、アメリカ・ワシントン大学のジェラルド・ポラック博士が提唱した「第四の水の相」という概念です。

従来、水の状態は、固体(氷)、液体(水)、気体(水蒸気)の三相とされてきました。

しかしポラック博士は、これに加えてもう一つの相が存在すると主張しています。それが「排除帯水(Exclusion Zone Water、EZ水)」と呼ばれる特殊な状態の水です。

 

「第四の水の相」とは何か

ポラック博士の研究によると、水は特定の表面に接するとき、そして光(特に赤外線)を受けるときに、分子が秩序だったゲル状の構造を形成します。

このとき、水は通常の液体水とは異なる性質を示し、荷電分離が起こり、周囲の微粒子を「排除」するため、「排除帯水(Exclusion Zone Water、EZ水)」と呼ばれます。

さらに、この「第四の水の相」は、光のエネルギーを吸収することで拡大し、電気的エネルギーを蓄える能力を持つとも報告されています。つまり、光と水の相互作用が、秩序とエネルギーの場を生み出すというわけです。

この現象は、細胞内の環境とも深く関係している可能性があります。

私たちの体は60%以上が水で構成されていますが、細胞内の水は単なるバルク水ではなく、タンパク質や膜表面と相互作用しながら構造化されていると考えられています。

ポラック博士の理論は、この「構造化された水」が生命活動の基盤を支えているのではないかという新たな視点を提示しているのです。

 

創世記の水と光の描写との一致

ここで改めて創世記の記述を見てみましょう。そこには、「地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた」とあり、混沌の中にまず「水」が存在していたことが示されています。

そして、神は最初に「光あれ」と宣言されました。科学的視点から見れば、この「光」は単なる可視光ではなく、広い意味でのエネルギーを象徴していると解釈できます。

神が水に光を注がれた瞬間、それは単なる物理的な明暗の始まりではなく、水に秩序と生命誕生の環境を整える出来事だったと読むことができるのです。

ポラック博士の「第四の水の相」によれば、水は光を受けて特別な構造を形成し、その場に秩序とエネルギーが生まれます。これはまさに、創世記の「光あれ」という宣言と一致しています。

神が光をもって水に働きかけられたことにより、生命の誕生に必要な基盤が準備された――そう解釈できるのです。

 

生命情報と生命エネルギーの場

さらに興味深いのは、この「第四の水の相」が「情報」と「エネルギー」という二つの側面を兼ね備えているように見える点です。

第一に、構造化された水は秩序を持つため、分子配列のパターンを通じて「情報」を保持する可能性が指摘されています。これを聖書的に解釈すれば、神が水の中に「生命情報を書き込むスペース」を備えられたと理解できます。

第二に、光によって「第四の水の相」は拡大し、電位差を生じさせることが観察されています。これは一種の「エネルギーチャージ」とも言えます。つまり、神が光を注ぐことで、水は生命を支えるエネルギーを満たす器となったのです。

このように考えると、創世記の冒頭部分は、単なる象徴的な物語ではなく、生命誕生の物理的・霊的条件を端的に示していると解釈することができます。

 

科学と神学の対話としての意義

もちろん、現時点でポラック博士の「第四の水の相」は、主流科学の中で完全に認められているわけではありません。再現性や理論的な裏付けにはまだ議論が続いています。

しかし一方で、生命と水の関係を新たな角度から見直すきっかけを与えていることも確かです。

聖書は古代の人々に与えられた啓示の書ですが、その中に込められた象徴や言葉は、現代科学の発見と不思議なほど呼応する場合があります。

光と水から始まる天地創造の物語と、光を受けて秩序を生み出す「第四の水の相」――この二つを重ね合わせることによって、私たちは「生命誕生の奥義」に一歩近づくことができるのではないでしょうか。

科学は実験と検証を通じて自然の仕組みを解明します。神学は啓示と信仰を通じて、創造主の意志を読み取ろうとします。

その二つが交差する地点に、創世記と「第四の水の相」をめぐる対話があります。それは決して科学を聖書に従属させるものでも、聖書を科学に矮小化するものでもなく、互いを照らし合わせてより深い理解に導くものです。

 

結び

「光あれ」との神の言葉によって、水に秩序が与えられ、生命が生まれるための舞台が整えられた、これは神学的にも科学的にも、非常に豊かな解釈を可能にします。

ポラック博士の「第四の水の相」は、創世記の言葉に新たな意味を見出す手がかりとなります。そして逆に、創世記の啓示は、科学者たちが水の神秘を探究する上でのインスピレーションを与えるものとなり得ます。

天地創造の物語と現代科学の理論が、時を超えて互いに共鳴するとき、私たちは「生命とは何か」「創造とは何か」という根源的な問いに、より深い次元で近づいていくことができるのです。

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