映画『インターステラー』には、「四つの力のうち重力だけが次元を超える」という象徴的な言葉が登場します。
物理学の世界では、重力は他の力に比べて極端に弱いにもかかわらず、宇宙全体を形づくり、逃れることができない普遍的な力として存在しています。
本作では、この「重力」が単なる自然現象を超えて、人の「思い」や「愛」と結びつき、時空を超えて働くものとして描かれます。
父と娘の愛(クーパーとマーフィー)や、男性と女性(ブラントとエドマンド)の愛が時空を越えて届くのは、この「重力=愛」の比喩そのものです。
聖書の中にも、この「重力的な性質」を思わせる表現があるので、今回は、いくつかの聖句を手がかりに、重力と愛と神の栄光を結びつけて考えてみたいと思います。
1. 見えないが確実に働く信仰
「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」(ヘブル人への手紙11章1節)
重力は目に見えませんが、確実にすべての物体に作用します。同じように、信仰も目に見えない力でありながら、人の歩みを方向づけ、人生を支える力となるものです。
クーパーが娘マーフィーとの絆を信じて行動し、最後に人類の未来を切り開いた姿は、見えない力に従う信仰の姿と重なります。
2. 永遠に残る愛
「愛はいつまでも絶えることがない。」(コリント人への第一の手紙13章8節)
重力が宇宙のどこにでも及ぶ普遍的な力であるように、聖書は愛の永遠性を語ります。
時空を超えて働く愛は、宇宙の法則を超えて働く重力と同じように、決して消えることがありません。
この映画の根底に流れるテーマ、父と娘の愛、男性と女性の愛は、まさに永遠性を象徴していると言えるでしょう。
3. 引き離せない神の愛
「死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。」(ローマ人への手紙8章38~39節)
重力から逃れることができないように、神の愛もまた人間を確実に引き寄せる力として描かれます。
この「抗うことのできない愛の引力」は、『インターステラー』における「愛が運命を導く力」と強く共鳴しています。
4. 栄光=重さとしての神の臨在
聖書のヘブライ語で「栄光」を意味する カーボード(כָּבוֹד, kabod) には「重さ」という原義があります。
神の栄光は「重くのしかかる臨在」として、人間を圧倒し、引き寄せ、逃れられない力を持つものと理解されていました。
つまり、神の栄光=重さ=引力 というイメージは、重力そのものを想起させます。
これはまさに、この映画が示す「重力は次元を超える」という主題を聖書的に解釈するためのヒントになるでしょう。
結び―重いは「思い」、そして「愛」
日本語の「重い」と「思い」が通じるように、重力の比喩は人の「思い」、とりわけ「愛」と深く関わります。
愛は人を引き寄せ、決して切れず、時空を超えて永遠に残る――その姿は重力の性質とよく似ています。
映画『インターステラー』が描いた「重力=愛」の構図は、聖書の言葉で言えば、
見えない信仰(ヘブル人への手紙11章1節)
永遠に残る愛(コリント人への第一の手紙13章8節)
決して引き離せない神の愛(ローマ人への手紙8章38~39節)
重さとしての栄光(カーボード)
これらと対応しています。
この映画は、単なる科学的空想を越えて、永遠なる神の愛と栄光を示唆する作品として読み解くことができるのです。
「重い(重力)」は「思い」に通じ、
人の「思い」は次元と時空を超越する