あの頃、私は体ではなく、むしろ心の中に痛みを抱えていました。
人間関係で傷つき、「もうこれ以上誰にもふれられたくない」と思っていたのです。
そんなとき、イエスの癒しの物語に出会いました。
✋「手を伸ばしなさい」
「そしてイエスはその人に、『手を伸ばしなさい』と言われた。そこで手を伸ばすと、ほかの手のように良くなった。」──マタイによる福音書12章13節
イエスは「手を伸ばしなさい」と言われました。それは、私にとって「心をもう一度開いてごらん」という呼びかけでした。
👣「あなたの信仰が、あなたを救った」
「イエスは振り向いて、この女を見て言われた、『娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです』。するとこの女はその時に、いやされた。」──マタイによる福音書9章22節
ただ着物のふさに手を伸ばした女に、イエスは「娘よ」と呼びかけました。
私たちは、ただ癒されるのではなく、「神の子」として迎えられているのです。
👀「神のわざが現れるためである」
「イエスは答えられた、『本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。」──ヨハネによる福音書9章3節
病や苦しみには意味があります。それは、主の栄光を現す「舞台」でもあるのです。
✨ 結び:「主よ、みこころなら…」
「すると、そのとき、ひとりの重い皮膚病にかかった人がイエスのところにきて、ひれ伏して言った、『主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが』。 イエスは手を伸ばして、彼にさわり、『そうしてあげよう、きよくなれ』と言われた。すると、重い皮膚病は直ちにきよめられた。」──マタイによる福音書8章2~3節
イエスのこの言葉に、私は何度も励まされてきました。
たとえ癒されなかったとしても、主がふれてくださったことが、私にとって何事にも代えがたい希望です。
コメント