『原理原本』に見る文鮮明先生の聖書解説1
人間の堕落の根本と悪の起源、そして悪に対する神の態度
神が天地万物を創造するときに善を中心として造られた。善は神に属する存在であり、神が永遠であられるように、善には永遠性があると同時に、善は愛の理想を完成した根本存在である。それゆえ、創世記を見てみると、モーセが記録するときに神が教えてくださった創造説は、その本意どおりに発表させたものではない。つまり文字どおりではなく、未来に対する一つの秘密を霊的に教示したものであった。その当時に根本まで明らかにして発表できなかったのは、当時の人間にとってそれは信じられない事実だったからである。
例えば、創世記の創造説の中で堕落の根本となった善悪の実があるが、それは神が造られたものであり根本から存在するものであった。しかし、それによって堕落が始まるという論理は、あまりにも皆がよく知る事実である。そして、蛇という存在がエバを誘引するさいに中心となった。これは、事実は事実だが、その根本意義において大きな問題となり、人間世界において重大で難関な問題の種となったのである。
人間が問うのは、「神は能力があり、知らないことがなく、いらっしゃらないところがないのに、なぜ人間を堕落させ、また堕落する要素のあるものを配置したのか」ということである。このようなことを考えてみるとき、「神は愛だと言っても、根本的に悪の始まりを造っておいてどうして善だと言えるのか」ということが、誰にとっても問題の中心であり、焦点となったのである。
そして、悪の主人公は、サタンであると同時に逆賊となった天使であり、その存在はルーシェルと呼ばれ、その一天使が悪の始まりであることは皆が知る事実である。だとすれば、神は根本から天使を逆賊サタンとなるように造られたのか、またなぜその天使を主管できなかったのかということが重大問題である。
創世記の三章一節を見ると、「さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、『園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか』」(日本聖書協会発行『口語訳聖書』より引用・以下同)とあり、蛇によって堕落が始まっている。
蛇にサタンが入っていって云々というところはないが、この蛇がすなわちサタンであることが分かる。つまりサタンという存在が蛇で表示されていることを知らなければならない。したがって、蛇はサタンであり、サタンはすなわちルーシェルである。それは、対象を誘引する表象格として蛇が似ていることからその名を借り、それを表示するために使用したのであって、それ(サタン)自体が蛇なのではない。(注十六)
現代の信者たちは、その蛇自体から人間が誘引されるようになったと考えているが、それは人間を堕落させる権限のない存在であり、サタンもその存在をもって誘引する路程を成就させようとはしなかったであろう。なぜなら人間は最初から万物に対する主管権を賦与されて造られており(創世記一章二八節)、サタンもこれを知っていたからである。ゆえに、主管される蛇をもって誘引工作をすることは考えもしなかったというのが事実である。誘引しようとすれば、より高貴な格位(かくい:資格上の位置)(注十七)の存在が必要であることは、我々の常識的な判断からも明白な事実ではないだろうか。
これまでは神の根本真理の路程が明らかにされなかったため、今に至るまで確実な根拠をつかむことができずにいた。しかし、今は時になり世界でみ旨を成就すべき時期が来たため、歴史的に明確でなかった創造の根本と堕落の根本の出発点を明らかにしなければならない。そうしてこそ神のみ旨が成就する時期を知らせることになるため、必ず根本真理を表示しなければならないのである。
今まで世界を取り戻そうとしてきた神の愛の根本から始まった摂理では、これが根本問題の根となるものであり、今の世界はこの根を必要とする世紀末と呼ばれる時期に到達したため、この事実を新たに全天宙に発表するのである。
本来、神は無形世界にいらっしゃり、天使などを造られたのち、天の無形世界の影として有形の万物実体世界を造り始められた。神が有形の万物実体世界を造る前に天使を造られたのは、有形実体理想世界の創造を天使が助けるのと同時に、天使を様々な問答や議論の相対とするためであった。
天使の中には天使長がいた。その天使長がすなわち逆賊軌道を歩むようになったルーシェルであった。天使を造られたのは、神の理想が展開する有形実体世界の創造を助ける協助的存在とするためだったが、この実体世界の理想が始まるとき、天使世界もさらに理想を付与されるようになっていたのである。それは神の創造の根本本義については、天使も知ることができなかったということである。(注十八)
万物実体世界で神の理想が実現すれば、神はもちろん天使たちまでも喜ぶようになり、全天宙が神の理想実現の喜びで満たされる。それこそが理想世界を造成する目的であったが、この目的が未到達のときに堕落によって非公式な存在が生じるようになったのである。これはすなわちルーシェルの行動から始まったのであり、この行動こそ人間にとって無限の苦痛が始まる根本となった。これがとりもなおさず、地獄が分岐され始める出発点であり罪の始まりなのである。
本来、神が万物を造られるときのその本意は、神の本形の展開であり、本性の展開であった。それゆえ、あらゆる万物は神の根本を象徴する個性真理体となり、根本真理体である神の本性稟を充分に表示することが求められていた。
神は唯一であり、永遠であり、不変の存在ゆえに真理の根本であり、造られた万物に真理の重大三要素である唯一性、永遠性、不変性を具備させ、理想的な生活形態を保障しなければならない。そのため、万物も神の性稟が表示され得る個性真理体として造られたのである。
そして、個性真理体として造られるために、蘇生から長成へ、長成から完成へと至る段階を設けて造成された。一つの存在が完成存在になろうとすれば、蘇生から始まって長成へ、そして長成をすべて経て完成へとその軌道内を通らなければならず、万物もそのように創造されたということである。
言い換えれば、真理には蘇生があり、長成があり、完成がある。このような時期的過程を経てこそ一つの真理体が完成するのである。また真理には、唯一性、永遠性、不変性があるため、それがあって初めて神が造られた善に属する理想の存在物として扱われるようになっていたのである。(『原理原本』p73~78より引用)
(注十六)
蛇はその舌先が二つに分かれている。したがって、それは一つの舌をもって二つの言葉を話し、一つの心をもって二つの生活をする者の表象となるのである。また、蛇は自分の食物に体を巻きつけて食べるが、これは自己の利益のために他を誘惑する者の表象となっている。それゆえに、聖書は人間を誘惑した天使を蛇に例えたのであった。(『原理講論』P九九)
(注十七)
性相と形状が授受作用をするとき、両者は同格ではない。すなわち格位が異なるのである。ここで格位とは資格上の位置をいうが、資格とは主管に関する資格を意味するのである。実際、格位とは能動性に関する位置をいうのであって、性相と形状が格位が異なるということは、性相は形状に対して能動的な位置にあり、形状は性相に対して受動的な位置にあることを意味するのである。(『統一思想要綱』P八一)
(注十八)
天使たちは、男性の天使が女性の天使としていくらでも現れることができます。霊界はそうです。美男子が美女の姿で現れることができます。思い通りにできるのです。ですから、女性がいるからといって、天使世界も女性をつくったと言うことはできません。(『文鮮明先生御言選集』 三六五―九六、二〇〇二・一・五)
ルーシェルは天使長です。僕です、僕。まだ創造が終わっていないのです。アダムとエバの愛の理想を成し遂げたのちには、天使世界も相対理想がすべて成し遂げられるのです。(『文鮮明先生御言選集』 一八二―一四七、一九八八・一〇・一六)
真の父母と内的神様が愛の主人となって一つになり、その基盤の上に彼らの一つの国を成し遂げた、その次から天使世界の相対理想が下りていくのです。(『文鮮明先生御言選集』 六〇一―二八九、二〇〇八・一一・一〇)
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