『原理原本』に見る文鮮明先生の聖書解説12-モーセに対する神の試練と割礼の根本意義

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『原理原本』に見る文鮮明先生の聖書解説12
モーセに対する神の試練と割礼の根本意義

 モーセは自分の妻子をつれて神の杖をもってエジプトに帰るのだが、次のようにパロに伝えることを神から言われていた。

 「イスラエルはわたしの子、わたしの長子である。わたしはあなたに言う。わたしの子を去らせて、わたしに仕えさせなさい。もし彼を去らせるのを拒むならば、わたしはあなたの子、あなたの長子を殺すであろう」(出エジプト記四章二二~二三節)

 モーセがこのような命令を受けて帰る途中、ある宿所で主が現れてモーセを殺そうとした。そのとき、モーセの妻は息子の前の皮を切り、「あなたはまことに、わたしにとって血の花婿です」(出エジプト記四章二五節)と言って死を免れることができた。それは割礼を施したからである。

 ここで、ヤコブの母がヤコブと一つになって工作することでみ旨が成就したように、モーセの妻子、すなわち母子が一つになってモーセを助ける儀式を成就したのである。その根本意味は何かというと、割礼が成就できなければモーセは死に、成就すれば生きるという重大な意味がある。

 そして、イエスが来られる目的は割礼の根本完成であり、イエスはその実体であるが、それは母親と一つになって初めて成立するという根本意義があることをここで見せてくださったのである。つまり妻子が一つにならなければみ旨成就ができず、イエスには十字架の死があることを予告的事実として表示したのである。

 イスラエルの長子として、み旨を成就できるかできないかという問題は、モーセが生きるかどうかにかかっていた。それゆえ、モーセ一人の命は全イスラエルを代身する命であり、全イスラエルの代身存在と言うこともできる存在であった。ゆえに、モーセにとってこの割礼は、もしそれがなければ、モーセはもちろん全イスラエルの民もすべて死亡することを表示する行動だったのである。また、妻子の割礼があったために生きるようになったことを通して、イエスの生死にかかわる重要問題が右左(うさ:左右)される根本問題成就の責任がどこにあるかを表示したのである。

 このような立場でモーセの妻子が一つになることによって、大きな勝利的条件が成立した。このみ旨を立てることができていなければ、すべてが失敗し得る難しい問題であった。それゆえ、モーセの妻子が行った割礼は、選ばれた民全体に対してモーセが長子の名分を完成する根本問題そのものだったのである。

 これと同じように、イエスも母親と力を合わせて割礼成就のみ旨を成し遂げなければならなかったが、このみ旨を成就できずに根本的な失敗があったことは、誰にとっても未知の事実である。母親がみ旨に従うことができなかったため、イエスは母親に対して、ガリラヤのカナで行われた婚礼のさいに「婦人よ」と言われたのである。このみ言の根本意義はここにある。すなわちイエスが「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか」(ヨハネ福音書二章四節)と言われたのは、母親が第一次のみ旨成就に失敗をもたらしたからであった。

 またそれは、十字架上での死の始まりとも関連性をもつようになったのである。つまりモーセが神の前にみ旨を成就できず、自らの生を保つことができなかったことと同一の事実となったということである。神のなされる路程に隠されたこのような原理の目的を誰が知り得ようか!

 それでは、ここで割礼について論じてみることにしよう。聖書に「割礼」という名詞が生じるようになったのは、堕落した事実に基因するが、エバがサタンの血を受けてアダムまでが堕落したため、割礼が重心問題(重大な中心問題)として要求されるようになったのである。アダムが主管すべきエバを主管していれば堕落も防止していたはずだが、エバに主管されて堕落してしまった。つまりアダムの陽部(局部)を通して全堕落が成立したため、責任は男性のアダムにあったのである。

 この男性のアダムが支配されたために人間は神の前に立つことのできない存在となったのであり、堕落の始まりを成立させた実体は正に男性の陽部であった。そこを通して暗闇の血を受け入れたため、割礼は暗闇の血を再び抜いたという事実を示すことが目的だったのである。

 このように、先に暗闇の血を受けて死ぬようになったため、アブラハムの子孫が生きようとすれば、割礼を施して死亡の血を抜いてこそ神に属することができるようになる。それゆえ、割礼がアブラハムの永遠の規約儀式として立てられたのである。そして、これがあるがゆえに男性の主管性を再び復帰する資格が付与される。

 そして、割礼には、心の割礼(申命記一〇章一六節)、肉身割礼(創世記一七章一〇節)、万物割礼(レビ記一九章二三節)がある。

 一、死亡の血を抜いたことの表示
 二、主管性を取り戻すことの表示
 三、根本のみ旨として子女の道を求めていく約束の表示

 以上のように、割礼にはこのような重大な意味があり、神がアブラハムに命令された根本意義がここにあることを今まで人間は知らなかったのである。(創世記一七章九~一四節)また知ってはならないというのが一つの原理であった。それゆえ、モーセが行ったこの割礼の儀式は、すべてのイスラエルが担い成就すべき全目的を表示していることをここで改めて知らなければならない。(『原理原本』p147~151より引用)

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