『原理原本』に見る文鮮明先生の聖書解説5-「命の木」についての根本意義

『原理原本』に見る文鮮明先生の聖書解説5

「命の木」についての根本意義

アダムとエバを中心とするエデンの園は、自由理想世界であると同時に希望の世界であった。自由の根本と愛の根本を失うと、人間には堕落の苦痛というものがあらゆる部門で始まったのである。

聖書によると、人間は、永遠に生きることができる「命の木」の実を、神のみ旨を中心として食べなければならなかったが、食べることができなくなった。すなわち、神は人間の堕落を知ったのち、理想世界である天の世界と我々人間との直接の関係を断たれたのである。それは、創世記三章二四節に「神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた」とあるとおりである。この「命の木」とは、神に直接、属することができるものだが、そこに至る道がふさがれるようになってしまったのである。

このように、人間と天の間に一つの間隔が置かれるようになったが、この間隔をなくすことは原理的存在が出現して初めて始まる。その存在とはすなわち、第二アダムのイエスとエバの聖神である。それゆえ、イエスが地に来て自らの根本使命と役割を終えて昇天したのち、聖神が降臨したとき(使徒行伝二章一~四節)から「回る炎のつるぎ」が除去されなければならない。これが事実として原理であるため、五旬節に炎のような舌が現れて各人の上にとどまり聖神に満たされたというのは、「命の木」への道が天から開かれたということである。

したがって、我々は再び「命の木」への道を訪ね、「命の木」の実までも得て、永遠の理想である永生の路程を歩むことを許諾されたのである。それゆえ、「命の木」とはイエスを象徴し、「命の木」の実はイエスが新婦格を完全に立てて初めて我々に許諾され得る永生の要素なのである。(『原理原本』p107~108より引用)

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