『原理原本』に見る文鮮明先生の聖書解説6
なぜ神はカインの祭物を祝福されなかったのか?
神が人間を創造するとき、「一」なる自己を中心にアダムとエバを通して子女繁殖をするために創造された。それゆえ、人間の子孫は神の子孫になるはずであったが、サタンの誘引を受けると、アダムとエバは中心から脱線する行動をするようになった。そのときからサタンは、人間に対して非公式的に現れる存在となった。本来人間は、神お一人に相対すべき存在だったというのが根本だが、非公式存在、すなわちサタンという一つの存在が生じるようになり、神と対立して現れたのである。
神は、根本である自己に属するように原理を立てて人間を創造したのだが、神とは異なる存在のサタンが生じたため、一人の人間を中心に二つの相対存在がいることになり、これは根本原理に反する事実である。そのため、神は再び人間を所有しようとするが、すでにサタンは先に原理的存在として相対すべき神のような存在として人間を所有してしまっているがゆえに、そのままでは人間に対する復帰工作を始めることができなかった。そこで神は、アダムとエバを再び自己の所有とするため、原理的順序に反する行動によって生じた失敗を取り消す工作をしようとされた。すなわち原理どおりの人間に復帰しようとされたのである。
ところが、アダムとエバ自身がすでに失敗していたため、人間は非公式的なサタンの所有である。もし堕落がなければ、創造原理的にはもちろん神が所有者であることは定まっていたが、堕落によってその原理的な立場が失われ、人間はすでに神の側に属さないものとなり、サタンが根本原理を完成したような立場で人間を手に入れていたのである。
しかし神は、自らの体として造った人間を放棄できない原理的な結びつきがあるため、やはり神にはアダムとエバを手放すことのできない原理的責任があったのである。このような根本的な責任をもたれた神は、アダムとエバを中心として直接、相対して取り戻す工作をしようとしたが、先に非原理存在の主人公が存在するため、アダムとエバの子孫を通して二つの主人格に分立させ、アダムとエバの失敗を取り戻そうとしたのである。
その結果、堕落世界のアダムとエバの子孫の中には、二つの性品の立場に立つ子孫が繁殖し存在するようになった。すなわち非公式的主人の性品に属する子孫と、公式原理的主人の神に属する子孫との分立が必要になったのである。
アダムとエバが失敗することによって、二性品格をもつ母体であり主人公が生じ始めたことは創造原理的ではない結果をもたらした。そのため、神はアダムとエバに対して直接、取り戻す工作を始めることができず、その子女に対して復帰工作を始めたのである。すなわち、アダムとエバの子女であるカインとアベルが摂理の路程を歩むようになったということである。
そこで、先にサタンの血を受けた人間であることから、最初に生み出された者はサタンに属する原理的でない存在となり、その次に生まれた存在は神が求めることのできる立場に属する存在となった。それは、エバが最初にサタンに属し、次はアダムに属するように行動したため、どちらも堕落の存在ではあるが、あとから生まれた存在はアダムとの愛を象徴する立場だったからである。こうしてサタンの血を受けた人間を取り戻そうとするとき、事実としてその子孫に(サタン側とアダム側の)二つの性品の流れが現れたのである。
また、堕落した立場から見ても、最初の愛はサタンからのものだったが、次のアダムの愛は、たとえ非原理の立場に属する愛だったとしても、神の前には憎しみの対象とはならない。このような原因から見て、最初の子孫は憎しみの子孫であり憎しみの対象であった。したがって、人間の子孫を中心にこのような理由に対比(類推)する立場を人間に対してとるようになったのである。
そしてサタンも、神に対して非原理ではあるが、自分が所有できる一つの相対とその血統的な子孫に対する所有を自然と願うようになり、人間を中心に神とサタンが対立し、互いに自分の所有を確立しようとするのである。またサタンは、自分が最初から非原理であることを知っているため、積極的に「人間は自分の所有である」とは言えないことを知っており、自分の側に従順であるという条件が成立して初めて自分のものとして取ることができるのであった。このようにして、アダムの子孫であるカインとアベルは、非公式存在と公式存在との対立として現れるようになったのである。
人間は本来、神のものとして造られたため、神は先に取ることができる原理的権利をもっている。つまりサタンは、人間を誘引はしたが間接的な態度で臨まなければならない立場に置かれていた。ここで神は復帰工作を始めようとしたが、不従順によって堕落した人間であるため、従順によってのみ神の側に立って原理を求めることができ、不従順であれば不従順の主人公サタンの所有になるという、この二つに分かれる道がつくられるようになったのである。それゆえ、人間の子孫カインとアベルが捧げる祭物は、根本的に従順か不従順かを決定する、二性品的な所有物であり表定物(ひょうていぶつ:方向を定める物)であった。
二人の兄弟は、各自がこのような祭物を捧げたのだが、なぜ神はアベルの祭物は祝福しカインの祭物は祝福されなかったのだろうか。(創世記四章四~五節)最初の子孫カインはサタンの血を継承していることを表示する者であり、次の子孫アベルは神が求めることができる者である。原理的に神が愛するのはカインよりアベルであることから、アベルの祭物を受けられカインの祭物は受けられなかったのである。
このときカインは、たとえ祭物が受け入れられなかったとしても、神の側に立つために神の愛するアベルを愛し、自分が愛を受けられなかったことに対して後悔しながら、再び神の愛を受ける道を求めていたならば、すなわち神がされることに対して喜び、感謝する態度であったならば、カインもまた神の側に立つようになるのである。原理的でないサタンが所有する者は、そのようにして不順圏内から従順圏内に移されるのである。従順な子孫と対立する立場のカインだったが、神の愛するアベルを愛していれば、カインは神がとるようになっていたということである。
ここでカインは、それとは反対に、神の愛するアベルに対して怨讐視する行動をしたのである。(創世記四章八節)すなわち、不順の根本であるサタンの行動と同じ方向に進んでアベルを殺したため、神のみ旨であった最初の復帰原理による摂理は、カインの行動によってあらゆる人間の上に死亡の場を作り出すようになったのである。
サタンは、その時までカインを自己所有にすることはできず、自己所有物になることを待ち望む立場で神に対抗して立っていた。聖書の創世記四章七節に「罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」とあるのは、「サタンはカイン、おまえを飲み込もうとしている」というこの根本意義を明らかにするみ言である。
このようなカインの行動があったため、不従順のサタンがカインを自分の側として所有するようになり、アベルを殺したことは天に対する反撃の始まりを予告するものとなった。そして、この行動は全人類の祖先の段階でなされたため、サタンが全人類を左右する間接的行動の始まりと言うことができる。また、カインがアベルを殺したことは、サタンがすべてを自分の所有にしようとすることの出露(しゅつろ:発露)であった。(『原理原本』p109~115より引用)
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