『原理原本』に見る文鮮明先生の聖書解説7-セツの子孫ノアの召命と洪水審判の根本意義

『原理原本』に見る文鮮明先生の聖書解説7
セツの子孫ノアの召命と洪水審判の根本意義

 そして神は、アベルの代わりにセツを立て、アベルに対するみ旨を継承する神の側の存在を再び立てられた。そのため、不従順なカイン、すなわちサタンはセツに対して工作するようになったのである。

人間は本来、暗闇に対しては不従順な血を受けて生まれたが、先にサタンと結んだ血縁関係により、神に従うよりもサタンに従う方向に流れていくようになった。しかし、神は根本目的を達成するため、原理的に従順な者を探し求めて工作を継承してきたのだが、人間たちは、セツの子孫までもカインの子孫が喜ぶ生活をする存在となり、サタン側に流れていくようになってしまった。そうして全人類は、神のみ旨を立てる者が次第に少なくなり、サタンの意志を立て、それに従うかたちで堕落性の根本体である淫行が膨張し、サタンに対して仕えることを喜んで行動するようになったのである。

神はこれを見て堪えかね、その人類を打って滅ぼし、み旨にかなう者の子孫による工作を計画するためにノアを立てられたのである。すなわちノアは、他の人類が神のみ旨に不従順なのに反して、神のみ旨に従順な代先者(だいせんしゃ:代表して先頭に立つ者)であった。それゆえ、神はノアに対して根本復帰を継承させ、み旨成就をしようとされたのである。(中略)

以上のように、ノアの時代までは、すべてが不順の子女たちによる世界となったため、神は人類を全滅させて再びみ旨を立てようとされ、その結果、ノアの審判が行われるようになった。その時にノアは従順な者を探し求めたが、一人も見出すことができず、すべてが死亡へと向かったのである。(注二十四)

根本から神を中心として始まっていれば、人間はすべて神ご自身の子孫たちであったが、サタンの行動によりすべての人間が死亡へと追い出されるという結果がもたらされ、審判が行われた。それは神にとって痛恨の事実である。なぜなら、審判したのはサタンのためであって、人間に何の罪があるのかという思いはやはり神も抱かざるを得なかったからである。それゆえ二度とこのような審判はしないことを誓いとして立てられたのである。(創世記八章二一~二二節)

審判の根本意義は次のとおりである。

一、サタンを人間から引き離すため
二、人間をして従順者とならしめてサタンを怨讐視するようにさせるため
三、審判を見た人間がそれを不従順者の死亡の象徴とみなして従順になるようにし、
不従順な行いを始めないようにするため
四、神だけが人間に相対できるようにするため
五、み旨成就の基(もとい)を失わないため

以上のような意義を中心として審判したが、根本的に考えれば、神ご自身において自己の責任性も感じたことを自覚せざるを得なかった。それゆえ神は、「人間が堕落するようになった結果は自分自身が造ったためである。したがって、その結果に対する最終局の責任は自らにあり、その次にアダムとエバである」とされたのである。失ってしまった人間を取り戻すことは、ご自身とアダムとエバの責任ゆえに、この工作を継承し始めなければならない代身(だいしん)的役割が残るようになったのである。

このように、最初に神が責任をもち、人間を救援できる基礎を築いてあげなければならない責任があった。そのため神は、この基礎をつくり始めるために旧約の役事へと入ったのである。その基礎ができれば無堕落のアダムとエバの分担使命が始まり、そうしてこそ創造原理の成立を迎えることができるのである。

本来、サタンが神にも従順に屈服しないのであれば、原理人(無罪人)の人間にも屈服できないことは事実であるため、神はモーセ時代まで自ら活動して基礎工作をしなければならなかったのである。この基礎ができてこそ神が再びアダムとエバを送って工作できるため、そのための責任を果たすのがノア以後の工作である。

神に従順屈服しないのであれば、サタンはイエスと聖神にも屈服することができない。そのため、神のみ旨と摂理の最高目的は、サタンをしてまず神に屈服させ、そして人間の祖先と人間全体に屈服させることである。

第一 神に従順屈服
第二 アダム・エバ(イエス・聖神)に従順屈服
第三 すべての人間に従順屈服

以上の目的が完成し、最終的にサタン所有の人間が一人もいなくなり、サタンが自然屈服までして終結してこそ原理となる。サタンはこのみ旨に反して役事するがゆえに、アダムから旧約時代へ、旧約時代から新約時代、新約時代から再臨時代まで展開する路程となり、神の摂理する役事が歴史を通して進んでくるようになったのである。このように神は最後まで人間を愛してこられたということである。

言い換えれば、神の責任分担歴史が旧約歴史であり、アダムとエバ(イエスと聖神)と全人類の責任分担歴史が新約歴史である。そうして堕落前の本来の起点を得ることができてこそ再臨成就の時代、すなわち成約時代であり理想時代である。このような路程によって復帰を始めたことは、神が目的とされた人間に対する愛であるというのが中心意義である。

したがって、サタンと神は、人間を中心に神がみ旨を成就しようとし、サタンがみ旨を破壊しようとしてきたのであり、これが歴史上の戦争として展開されてきたことは事実である。(『原理原本』p115~122より引用)

(注二十四)
 こうして、彼は獄に捕われている霊どものところに下って行き、宣べ伝えることをされた。これらの霊というのは、むかしノアの箱舟が造られていた間、神が寛容をもって待っておられたのに従わなかった者どものことである。(ペテロの第一の手紙三章一九~二〇節)

 ノアは、百二十年の間、あらゆる情熱と自分のすべての財産を投入して箱舟をつくりました。誠心誠意を尽くして働きながら、時間があるたびに、百二十年後に水で審判されることを叫んだのです。百二十年間叫びましたが、一人の同志も見つけることができなかったノアでした。大勢の群集は、彼を嘲弄しました。青々とした天を見つめながら嘲笑い、道端で嘆息するノアを見つめて嘲笑いました。そのように笑われて追い立てられたノアだったのです。(『文鮮明先生御言選集』九―二二、一九六〇・四・三)

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