聖書と心身の健康

聖書とゼロリスク信仰―第3回 人事を尽くして天命を待つ

「努力して、あとは神に任せる。」 この言葉は、多くの人が耳にしたことのある人生訓です。日本語では「人事を尽くして天命を待つ」と言いますが、これは単なる諦めの言葉ではありません。むしろ、人間の努力と信仰の関係をきわめて深く表した言葉です。現代...
聖書と心身の健康

聖書とゼロリスク信仰―第2回 恐れの支配・ゼロリスク信仰の心理構造

「安全のために」という言葉ほど、人々を納得させる力をもつ言葉はありません。誰もが安全を望み、危険を避けたいと願う――それ自体は自然なことです。しかし、問題はその「安全」への欲求が、恐れに支配された信仰のかたちとなってしまうときにあります。恐...
聖書と心身の健康

聖書とゼロリスク信仰―第1回 ゼロリスク幻想とは何か

“完全な安全”を求める時代の病私たちは今、あらゆる場面で「安全」を求める社会に生きています。食品には添加物がないことを望み、環境には一切の有害物質を排除しようとし、交通事故や災害、感染症までも「ゼロ」を掲げて対策を求めます。こうした傾向は一...
輪廻転生批判

聖書から見た輪廻転生―第10回 結論―輪廻転生ではなく復活の希望

1. 輪廻思想が与えてきた慰め人類の歴史において、輪廻思想は長いあいだ多くの人々を支えてきました。死はすべての終わりではなく、新しい生の始まりであるという考えは、人々に安心を与え、死の恐怖を和らげました。自然界の循環に重ねて人間の生死を理解...
輪廻転生批判

聖書から見た輪廻転生―第9回 解脱と啓示、自力と他力の対比

1. 「解脱」という理想への疑問東洋思想において「解脱」は、人間の究極の到達点として語られてきました。しかし、冷静に考えると、そこには大きな矛盾があります。――誰も完全に解脱した人がいないのに、なぜ解脱が語られるのか。仏教でもヒンドゥー教で...
輪廻転生批判

聖書から見た輪廻転生―第8回 輪廻と先祖供養の矛盾と聖書の視点

1. 東アジアにおける独特な融合日本や中国、韓国など東アジア圏では、仏教の「輪廻思想」と儒教の「祖先崇拝(先祖供養)」が長い歴史の中で融合してきました。葬儀や法事では「冥福を祈り」「成仏を願う」と同時に、「ご先祖様がいつも見守ってくださる」...
輪廻転生批判

聖書から見た輪廻転生―第7回 輪廻ではなく「天命の継承」

1. 輪廻思想と一神教的歴史観のはざまでこれまで見てきたように、輪廻思想は「円環的世界観」を前提にし、人の魂が生まれ変わりを繰り返すと教えます。一方、聖書の語る一神教的歴史観は「直線的世界観」を前提にし、歴史は創造から始まり、終末から完成へ...
輪廻転生批判

聖書から見た輪廻転生―第6回 輪廻転生を否定する聖書的理由

1. 神は人間をやり直しを前提に造られなかった輪廻思想の前提は、「人間は一度の人生で完成できないから、何度も生まれ変わって成長しなければならない」という考えです。確かに人は不完全で、人生の中で失敗を重ねます。しかし、聖書の神は、人を「やり直...
輪廻転生批判

聖書から見た輪廻転生―第5回 復活と解脱、二つの救済観の対比

1. 人間の究極的な問い人は誰しも、「死んだらどうなるのか」という問いを抱きます。生まれ、成長し、やがて死を迎えるという避けられない現実の先に、何があるのかを探ることは、人類共通のテーマでした。インド思想はその答えとして「輪廻と解脱」を示し...
輪廻転生批判

聖書から見た輪廻転生―第4回 一神教と輪廻思想の対比

1. 人類が抱いてきた二つの歴史観―直線的歴史観と円環的世界観人間は「自分はどこから来て、どこへ行くのか」という問いを避けることができません。この問いに対して、世界の宗教や思想は大きく二つの答えを与えてきました。ひとつは、インド思想に典型的...