1.留学時代の下宿先-三橋孝蔵・イトさん宅跡
文鮮明先生は、日本留学時代、東京の淀橋区戸塚町1丁目(現在の新宿区西早稲田2丁目)にある三橋家に下宿していらっしゃいました。
【写真左】三橋家を探しておられる文鮮明先生(1965年1月29日)
【写真右】三橋イトさんと再会された場面です。(同日)
2.「旧戸塚警察署」跡
当時の戸塚警察署は、下宿先の三橋家から歩いて4~5分のところにありました。現在、戸塚警察署は別のところに移転し、かつて戸塚警察署があった所は警察官舎になっています。
韓国が日本の政権下にあった時、先生は何度も留置所に連れていかれました。これは東京に来た時には、1月に1度は警察署に呼ばれました。(1965年10月8日、東京・早成寮)
3.「雄鶏舎時計店」跡
文鮮明先生は、「早稲田大学の高田馬場の道を日に二度づつ通いました」(1965年10月8日、東京・早成寮)と語られましたが、毎日行き来された通りの途中にあったのが「雄鶏舎時計店」でした。
「昭和34年10月2日金曜日、午後7時15分に第1回の礼拝をもって東京統一教会は発足したのである。4月より今日まで原理を信じた兄弟姉妹4人(西川勝・清水義雄・須田トク・田村芳子)と共に礼拝は始められた。司会清水氏。賛美歌と祈りの後、西川勝の聖書拝読。マタイ伝6章25節より終わりまで読み、『義と神の国を求めよ』という題で約30分。8時に終わり、4人で歴史的な礼拝は終わったのである。」(『成約新聞』創刊号1961. 11. 15、崔宣教師記)