エデンの園の物語は、命の木と善悪を知る木、そして四つの川を中心に描かれています。しかし、この園に置かれたアダムには、もう一つの重要な使命が与えられていました。それは「園を耕し、守る」ことです。
1. 神が人に与えた使命
創世記にはこのように記されています。
「主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。」(創世記2章15節・口語訳、以下同)
これは単なる農業労働を意味しているのではありません。エデンの園を「耕し、守る」とは、人間に与えられた身体=小宇宙を整え、養い、正しく管理することを象徴しています。
人間の体は、神から与えられた最も大切な「園」です。命の木=丹田を中心に、血液、リンパ、神経、経絡という四つの川が流れ、全身を潤しています。この身体を健やかに保つことこそ、園を耕す使命を果たすことです。
2. 耕すとは「養生」である
園を耕すとは、土地を荒らさず、草木を育むことです。人体に置き換えると、それは日々の養生のことを意味します。
呼吸を整えること:深い呼吸は丹田を養い、気を充実させます。浅い呼吸は心身を弱めます。
食を節すること:自然な食事は腸を整え、命の木を養います。暴飲暴食や加工食品の取りすぎは園を荒らす行為です。
体を動かすこと:運動は血液とリンパの流れを促し、川を豊かに流します。怠惰は川を滞らせ、園を枯らせます。
心を澄ますこと:ストレスや怒りは神経の流れを乱し、経絡の気を塞ぎます。感謝と祈りは心を澄ませ、流れを豊かにします。
園を耕すとは、すなわち自分の身体を丁寧に整える養生の実践です。
3. 守るとは「節制」である
神はアダムに園を守る使命も与えました。守るとは、外敵から園を保護することです。人体においては、生活習慣の乱れや欲望の暴走から自分を守ることに当たります。
過度な飲酒や喫煙は園を荒らします。
睡眠不足や過労もまた園を枯らせます。
怒りや妬みといった負の感情は川の流れを濁らせます。
園を守るとは、節制をもって自分の体と心を正しく管理することです。
4. 失楽園と身体の荒廃
創世記の3章には、人間がエデンの園から追い出されたと記録されています。
「そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。」(創世記3章23節)
これを身体論的に解釈すれば、人が本来与えられた内なる園を見失い、外側の世界に囚われてしまった姿です。
知識や欲望に支配され、身体を養うことを忘れ、園は荒廃してしまいました。現代人の生活習慣病や心身の不調は、この「失楽園」の延長線上にあると言えるでしょう。
5. 内なる園の復帰
しかし、聖書は希望を語ります。ヨハネの黙示録には、再び命の木が登場し、その葉は諸国を癒すと記されています(黙示録22章2節)。
これは、荒廃した園が再び復帰されることを意味します。現代的に言えば、丹田を意識し、腸を整え、呼吸を深め、食を正し、心を澄ますことです。そうすることで、四つの川は再び豊かに流れ出し、園は潤いを取り戻します。
園を耕し、守るとは、単に健康法にとどまらず、霊的な使命でもあります。自らの身体という園を整えることは、神から与えられた命を尊ぶことなのです。
結び
「園を耕し、守る」という聖書の言葉は、私たちにとって今なお生きた使命です。
エデンの園は私たちの身体であり、命の木は丹田にあります。血液、リンパ、神経、経絡という川は、日々の生活の仕方によって潤うことも枯れることもあります。
呼吸を整え、食を節し、体を動かし、心を澄ます――これらの養生と節制は、園を耕し、守ることそのものです。そして、その実践を通じて、私たちは再び内なるエデンを復帰し、命の木の実を味わう道が開かれるのです。