愛と性を通して人を結び合わせるホルモンがある一方で、人間を分断し、体を蝕むホルモンも存在します。その代表が、恐れや不安に関わるアドレナリンとコルチゾールです。
人間が生きる中で避けることのできない感情の一つが「恐れ」です。危険を察知して身を守るために恐れは必要ですが、過度の恐れや絶え間ない不安は、心と体をむしばみます。
現代医学はその背景に「アドレナリン」と「コルチゾール」という二つのホルモンが深く関わっていることを明らかにしています。
聖書は古代から「恐れるな」「思い煩うな」と繰り返し語り、人間が本来の平安を取り戻す道を指し示しています。
アドレナリン―緊急時の力を生むホルモン
アドレナリンは、副腎から分泌されるホルモンで、いわゆる「闘争か逃走か(fight or flight)」反応を引き起こします。
心拍数や血圧を高め、血糖値を上げ、筋肉にエネルギーを送り込むことで、危機に直面した人を瞬時に行動できる状態にします。
一時的なアドレナリンの分泌は命を守りますが、慢性的に分泌され続ければ心臓や血管に負担をかけ、体を消耗させてしまいます。恐れや緊張が続く生活は、まさに体を内側から蝕むのです。
コルチゾール―慢性ストレスの影の主役
もう一つの重要なストレスホルモンが「コルチゾール」です。
アドレナリンが即座の緊急反応を引き起こすのに対し、コルチゾールは長期的に体をストレス状態に保ちます。
少量であれば、代謝を整え、炎症を抑えるなど有益な働きがありますが、分泌が過剰になると免疫力が低下し、感染症や生活習慣病を招きます。
慢性的なコルチゾールの高まりは、うつ病や不眠症とも深く関係しています。
つまり「思い煩い」は、単に心の問題だけではなく、体の病にも直結するのです。
イエスの言葉「思いわずらうな」
マタイによる福音書6章27節でイエスはこう語られました。
あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。(マタイによる福音書6章27節)
この言葉は、現代科学の知見と一致します。思い煩いは寿命を延ばすどころか、むしろ縮めるのです。
コルチゾールが過剰に分泌されれば、細胞は老化し、血管や免疫が傷つきます。イエスは2000年前に、すでにその真理を語っておられました。
「恐れるな」という聖書のみ言
聖書全体を通して「恐れるな」という言葉は365回以上出てくると言われています。これは偶然ではありません。
人が毎日直面する恐れに対して、神が日々語りかけてくださっているのです。
イザヤ書の41章10節にはこうあります。
恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。(イザヤ書の41章10節)
恐れを手放すことは、自分の力で成し遂げられるものではありません。
神が共におられることを信じるとき、心は平安を取り戻し、ストレスホルモンの働きも和らいでいきます。
ストレスと信仰生活
祈りや礼拝の時間は、科学的に見てもストレス解消の力があります。
祈るとき心拍数や血圧が落ち着き、深呼吸と共に副交感神経が働きます。
その結果、アドレナリンやコルチゾールの分泌が抑えられ、心も体も安らぎを得ます。
詩篇55篇22節にはこうあります。
あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。(詩篇55篇22節)
これは単なる慰めの言葉ではなく、実際に体を整える知恵でもあるのです。
恐れを超える力―完全な愛
ヨハネの第一の手紙4章18節には、恐れと愛の関係がこう記されています。
愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。(ヨハネの第一の手紙4章18節)
愛はオキシトシンの分泌を促し、心に安らぎを与えます。恐れとストレスのホルモン反応を超える力が「愛」なのです。
だからこそ聖書は「恐れるな」と共に「愛し合いなさい」と語り続けています。
結びに
恐れとストレスは、人間を守るために必要な反応でもあります。しかしそれが過剰になると、アドレナリンとコルチゾールが心身を消耗させ、命を縮めてしまいます。
イエスは「思い煩うな」と語り、神は「恐れるな」と繰り返されました。
信仰の生活は、ホルモンの過剰な働きを鎮め、体を癒す力を持っています。恐れから解放されるとき、人は本来の命のリズムを取り戻すのです。
「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる」――このみ言を心に刻むとき、私たちの内に溢れるのはストレスではなく、平安と希望です。