Ⅰ.神経系とホルモン系――二重の生命ネットワーク
人間の身体には、二重の情報ネットワークが存在します。一つは神経系で、光のように速い電気信号によって命令を伝える回路です。
もう一つはホルモン系で、血液という水の流れに乗って化学信号を送り、全身の働きをゆっくりと整える回路です。
神経は瞬間的に筋肉を動かし、ホルモンはその後に心拍、体温、感情、代謝などを調整します。
前者は即時的な「意志」の通路であり、後者は持続的な「感情と環境適応」の通路です。
この二つの回路が重なり合うことで、私たちは理性と情動、光と風、瞬間と持続をひとつの身体の中で共存させています。
言い換えれば、神経系とホルモン系は、創世記における「天と地」「光と水」の関係のように、異なる性質をもって互いに補い合う、神の設計の二重構造なのです。
Ⅱ.「光あれ」――創造の始まりは言葉から
創世記の最初に「神は『光あれ』と言われた」と記されています。この一言は、宇宙の始まりが「言葉」によって生じたことを示しています。
光は神の言葉そのものの現れであり、すべての情報の起点でした。人の身体にもまた、この「言葉と光」によく似た構造があります。
それが、脳から脊髄へと続く神経の流れです。神経は光のように速い電気信号で命令を伝え、その指令は全身に広がって肉体という「地」を動かします。
まさに脳と脊髄は天と地を結ぶ生命の幹であり、神の「言葉」が肉体に宿るための通路です。
Ⅲ.ホルモンという“風”――言葉に息が吹き込まれる瞬間
しかし、生命はそれだけでは生きていけません。もし神経の電気信号だけで動いているのなら、人間は冷たい機械と変わらないでしょう。
そこにもう一つの流れ――ホルモンという“風”が働きます。
それは神の息が水の上を動いたように、目には見えないが確かに全身を巡り、感情と温度を生み出します。
怒ればアドレナリンが吹き上がり、愛すればオキシトシンがあふれ、不安や悲しみにはコルチゾールやセロトニンが応答します。
それはまるで、言葉に息が混ざって歌になるように、神経という「光」にホルモンという「風」が加わる瞬間です。
Ⅳ.視床下部という祭壇――光が化学に変わる場所
脳の中心には視床下部という小さな領域があります。そこは神経の電気信号をホルモンの化学信号に変える「祭壇」のような場所です。
上から降りてきた“言葉”がここで変換され、下垂体や副腎、甲状腺、生殖腺などに伝えられ、身体のあらゆる器官を動かす命令となります。
つまり人間の内部では絶えず、光が息に変わる創造の瞬間が起きているのです。それは、神が言葉をもって天地を造られたことの小さな再現でもあります。
Ⅴ.神経とホルモンの対話――天と地の往復
神経とホルモンは、まるで天と地の対話です。神経は上から下へ意志と命令を伝え、ホルモンは下から上へ感情と反応を返します。
この双方向のやり取りこそ、「人が生きている」という現象の本質です。
祈りの言葉が心を整え、感情を鎮めるのは、まさにこの神経とホルモンの調和によってです。
祈りの声は脳の神経を通って身体に流れ、やがてホルモンの風となって血流に溶け込み、全身に「平安」という化学的な秩序をもたらします。
Ⅵ.光と風の均衡――理性と感情の秩序
創世記における創造は、光と水、天と地、男と女といった対の調和で進みました。
人体の内でも同じように、神経(光)とホルモン(風)の調和によって心と体の秩序が保たれます。
どちらか一方に偏れば、光は乾き、風は暴れます。冷静すぎる理性も、激しすぎる感情も、どちらも神の秩序から外れた「不均衡」です。
その中心に立ち、光と風をつなぎとめるのが人の意識――すなわち霊性です。
霊は神経とホルモンの両方を通して体に働きかけ、言葉を行動へ、祈りを現実へと変えていきます。このとき、人は言葉が肉となった存在として完成します。
Ⅶ.言葉が肉となる――今も続く創造の再現
神はまず光をもって世界を照らし、次に息をもって生命を動かしました。人間の内でも、同じ秩序が繰り返されています。
神経は言葉の光を伝える導線。ホルモンは、その光に温度と感情を吹き込む風。そしてその交わりの場こそが、私たちの身体そのものです。
創造の神秘は、遠い天の出来事ではありません。それは、今この瞬間も、私たちの内で、ひとつひとつの細胞を通して繰り返されているのです。

  
  
  
  