聖書から見た欧米型キリスト教―補① 教会制度の歴史と聖書的モデルの違い

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※本シリーズでいう「欧米型キリスト教」とは、近代以降の欧米社会において形成された神学的・制度的・文化的キリスト教を指します。

 

1.序:私たちが知る“教会”はどこまで聖書的なのか

現代の多くの教会は、司祭・牧師・神父といった聖職者、礼拝堂、組織制度、教会法や役員会などを備えた“制度としての教会”を当たり前のものとして受け止めています。

しかし、こうした制度は、聖書そのものに由来する部分と、歴史の中で後から形成された部分が混在しています。

本稿の目的は、制度を否定することではありません。むしろ、「制度がどこまで歴史の産物で、どこまで聖書の本質を表しているか」を丁寧に見極めることで、現代の教会がより聖書本来の姿に近づく道を探ることにあります。

 

2.新約聖書に見る“教会”—制度ではなく関係と生活に根ざした共同体

新約聖書が描く教会(エクレーシア)は、建物でも制度でもなく、神に召し出された人々の共同体でした。

最初期の教会は、家庭を中心として集まり、日常生活を共有し、祈り、食卓を囲んでいました。

 そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。(使徒2章42節)

ここにある教会の姿は、序列ではなく交わり、法制度ではなく生活共同体、権威構造ではなく、賜物の相互性に特徴づけられています。

またパウロは、教会を「キリストのからだ」(コリントⅠ12章27節)と呼びました。

これは、教会を有機的・生命的な存在として描いた言葉であり、静的組織ではなく、互いが補い合う身体としての関係性を示しています。

この“聖書的教会モデル”は、後に形成されていく制度化された教会とは異なるものです。

 

3.制度化の始まり—ローマ帝国と教会の結合

教会制度の大きな転換点は、4世紀のコンスタンティヌス皇帝によるキリスト教公認です。ここから教会は帝国の一部となり、行政の制度と融合していきました。

(1)階層的組織の導入

ローマ帝国は、総督、軍司令官、官僚による明確な階層構造を持っていました。教会も次第に同じような階層化を進めます。

 司教(ビショップ)
 司祭(プリースト)
 助祭(ディアコノス)

これらの役職は、新約聖書にもその原型がみられますが、帝国化以降は行政職としての要素が格段に強まりました。

(2)建築様式と聖所化

また、ローマ法廷やバシリカ建築が教会建築のモデルとなり、“聖所と俗所”という概念が明確に区別されるようになりました。

しかし新約時代の信徒たちは、建物を神の家として特別視しませんでした。神殿中心主義からの脱却が福音の重要な要素だったからです。

「あなたがたは神の宮」(コリントⅠ3章16節)とパウロが語ったように、本来の神の宮は建物ではなく、人そのものでした。

(3)教会法(カノン法)の整備

帝国と一体化した教会は、広大な領土を統治するため、明確な法体系を発展させます。

この法文化は、正統・異端の境界を明確にする役割を果たす一方、制度を守ることが信仰の中心であるかのような構造も生み出していきました。

 

4.中世以降の制度教会—組織そのものが信仰になる構造

中世の教会はヨーロッパ全体の権威となり、政治・経済とも密接に結びつきました。

その結果、教会は次第に神の共同体よりも、地上の巨大組織として機能する面を強めていきます。

教皇の絶対的権威や司教の領地支配、聖職者と一般信徒の分離、聖餐と赦しを管理する権威の集中など、これらは新約聖書の教会像とは大きくかけ離れています。

イエスは、「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない」(マタイ20章26~27節)と語られました。

しかし、中世の制度教会は、仕えるよりも支配する構造へと傾いていきました。

宗教改革もこの構造を批判しましたが、プロテスタントもまた、別の形で制度化を進め、教会制度そのものから完全には自由になれませんでした。

 

5.聖書的モデルへの回帰—有機的共同体としての教会

聖書が描く教会モデルは、一言で言えば、制度ではなく、関係によって成立する共同体です。

このモデルにはいくつかの主要な特徴があります。たとえば、教会とは、互いの賜物が自由に働く場所です。

預言、教え、奉仕、励まし、癒やし、知恵といった賜物が、上からの許可ではなく、聖霊の働きによって自然に立ち上がるものとして描かれています。

また、指導者は支配者ではなく、群れを守る牧者として理解され、権威は地位ではなく人格と奉仕によって成り立ちます。

さらに、信仰は建物中心ではなく、生活共同体の中で生きるもので、食卓・祈り・労働・交わりの中で育っていきます。これが聖書的な教会の姿です。

 

6.結:制度を否定するのではなく、制度を越えることが求められる

今日の教会が制度を持つこと自体は問題ではありません。むしろ制度は、共同体を守り、教育と礼拝の安定をもたらすための重要な器です。

しかし制度が目的化し、制度そのものが教会の正体になってしまうとき、聖書の描く共同体の生命が失われます。

イエスが築いたのは、制度ではなく、人々の関係そのものから立ち上がる共同体でした。

 人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである。(マルコ10章45節)

教会制度の歴史を正しく理解しつつ、その上で聖書本来の関係的・有機的共同体を回復していくことこそ、現代の教会に求められている課題です。

制度を壊すのではなく、制度を透明化し、その背後にある聖書の本質が見えるようにする。それが、脱西洋化神学にもつながる聖書回帰の一歩ではないでしょうか。

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