創世記と人体の相似性シリーズ第3回 天と地の分立―心と体の調和を求めて

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【本記事の趣旨】
天と地、上の水と下の水が分けられたという記述は、霊性と肉体、意識と身体のバランスを象徴しています。人体における「境界と統合」の神秘を呼吸を通して探求していきます。

 

天と地の分立―心と体の調和を求めて

神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。 7そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。― 創世記1章6〜7節(口語訳)

天地創造の2日目、神は「水の間におおぞら(空間)」を設け、水と水を分けられました。

これは、宇宙における天と地の区分だけでなく、「境界をつくることによって秩序を生み出す」という神の働きを象徴しています。

この「分ける」、あるいは「わかつ」という行為は、私たちの心と体の調和にも通じる重要なテーマです。

 

水と水を分けるとは何か?

創世記の描写によると、初めの世界は「水」に満たされていました。

そこに神が「大空」を造り、上の水(天の水)と下の水(地の水)とを区分されたのです。

天の水:霧、雲、雨…天上からの恵み

地の水:海、川、泉…地を潤し、命を育むもの

これは、「霊と肉、精神と身体、内と外」という二つの次元を分けると同時に、結び合っている構造を象徴しています。

その「間」にあるのが、大空=空間=呼吸であり、神の霊(ルーアッハ)が通う領域です。

 

呼吸―天と地をつなぐ橋

人の体において、天と地をつなぐ「大空」のような役割を果たしているのが呼吸です。

息を吸う:外から命を取り込む(天の霊)

息を吐く:内なるものを解き放つ(地の応答)

旧約聖書の「霊(ルーアッハ)」は、「風」「息」とも訳される言葉です。

「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた」(創世記2:7)とあるように、呼吸とは霊の出入り口であり、霊肉をつなぐ通路です。

 

精神と肉体も「分けられて」いる

私たちは、物質としての身体と、思考・意志・霊的な存在としての内面(精神)の両方を持つ存在です。

これらが混在したままでは、どちらも中途半端な存在になってしまいます。

しかし、創世記のように、分けることで秩序が生まれれば、心と体の領域を正しく見分け、調和の中で生きることができるようになります。

一見すると、分けるというのは「分断」のように見えるかもしれませんが、聖書が語っているのは、区別することによってもたらされる一致です。

上の水と下の水を分けたからこそ、雨が降り、地が潤う

精神と肉体が区別されているからこそ、心が体を動かし、体が心を表現する

天と地が異なるからこそ、そのあいだにある私たちが「祈る」ことができる

つまり、分けることは、つながるための準備でもあるのです。

 

現代における「わけられない状態」との闘い

現代人がしばしば抱える問題は、心と体の不一致、霊性の不在、過剰な情報による混乱です。

体は疲れているのに思考が止まらない

気持ちは落ち込んでいるのに無理に動こうとする

霊的な飢えや渇きを物質的な刺激で埋めようとする

こうした状態は、まさに創造の前の混沌=トーフー・ワ・ボーフー(形なく、むなしく)のようです。

私たちにはいま、創世記のように「分ける知恵」と「整える秩序」が必要なのです。

 

まとめ:大空とは命の空間

「水と水を分ける」

それは、天地を、霊と肉を、上と下を区別し、それぞれに役割を与える神の知恵です。

そして、そのあいだに置かれた「大空」は、つながりを妨げるものではなく、結びつきを可能にする空間です。

私たちの呼吸もまた、天と地を行き来する霊のリズムを今も奏でています。

混沌の中に境界を引き、秩序をもたらす、それが神の創造なのです。

 

🌿 次回予告:
第4回 光るものと時のしるし―内なる季節と成長のサイクル

次回は、「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、 天のおおぞらにあって地を照らす光となれ」という創世記1章14~15節のことばをもとに、私たちの体が刻んでいる内なる時間と季節、成長と老いのリズムを探ります。

 

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