【本記事の趣旨】
天と地、上の水と下の水が分けられたという記述は、霊性と肉体、意識と身体のバランスを象徴しています。人体における「境界と統合」の神秘を呼吸を通して探求していきます。
天と地の分立―心と体の調和を求めて
神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。 7そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。― 創世記1章6〜7節(口語訳)
天地創造の2日目、神は「水の間におおぞら(空間)」を設け、水と水を分けられました。
これは、宇宙における天と地の区分だけでなく、「境界をつくることによって秩序を生み出す」という神の働きを象徴しています。
この「分ける」、あるいは「わかつ」という行為は、私たちの心と体の調和にも通じる重要なテーマです。
水と水を分けるとは何か?
創世記の描写によると、初めの世界は「水」に満たされていました。
そこに神が「大空」を造り、上の水(天の水)と下の水(地の水)とを区分されたのです。
天の水:霧、雲、雨…天上からの恵み
地の水:海、川、泉…地を潤し、命を育むもの
これは、「霊と肉、精神と身体、内と外」という二つの次元を分けると同時に、結び合っている構造を象徴しています。
その「間」にあるのが、大空=空間=呼吸であり、神の霊(ルーアッハ)が通う領域です。
呼吸―天と地をつなぐ橋
人の体において、天と地をつなぐ「大空」のような役割を果たしているのが呼吸です。
息を吸う:外から命を取り込む(天の霊)
息を吐く:内なるものを解き放つ(地の応答)
旧約聖書の「霊(ルーアッハ)」は、「風」「息」とも訳される言葉です。
「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた」(創世記2:7)とあるように、呼吸とは霊の出入り口であり、霊肉をつなぐ通路です。
精神と肉体も「分けられて」いる
私たちは、物質としての身体と、思考・意志・霊的な存在としての内面(精神)の両方を持つ存在です。
これらが混在したままでは、どちらも中途半端な存在になってしまいます。
しかし、創世記のように、分けることで秩序が生まれれば、心と体の領域を正しく見分け、調和の中で生きることができるようになります。
一見すると、分けるというのは「分断」のように見えるかもしれませんが、聖書が語っているのは、区別することによってもたらされる一致です。
上の水と下の水を分けたからこそ、雨が降り、地が潤う
精神と肉体が区別されているからこそ、心が体を動かし、体が心を表現する
天と地が異なるからこそ、そのあいだにある私たちが「祈る」ことができる
つまり、分けることは、つながるための準備でもあるのです。
現代における「わけられない状態」との闘い
現代人がしばしば抱える問題は、心と体の不一致、霊性の不在、過剰な情報による混乱です。
体は疲れているのに思考が止まらない
気持ちは落ち込んでいるのに無理に動こうとする
霊的な飢えや渇きを物質的な刺激で埋めようとする
こうした状態は、まさに創造の前の混沌=トーフー・ワ・ボーフー(形なく、むなしく)のようです。
私たちにはいま、創世記のように「分ける知恵」と「整える秩序」が必要なのです。
まとめ:大空とは命の空間
「水と水を分ける」
それは、天地を、霊と肉を、上と下を区別し、それぞれに役割を与える神の知恵です。
そして、そのあいだに置かれた「大空」は、つながりを妨げるものではなく、結びつきを可能にする空間です。
私たちの呼吸もまた、天と地を行き来する霊のリズムを今も奏でています。
混沌の中に境界を引き、秩序をもたらす、それが神の創造なのです。
🌿 次回予告:
第4回 光るものと時のしるし―内なる季節と成長のサイクル
次回は、「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、 天のおおぞらにあって地を照らす光となれ」という創世記1章14~15節のことばをもとに、私たちの体が刻んでいる内なる時間と季節、成長と老いのリズムを探ります。