命を支えるもの―塩と鉄の神学:第4回 鉄の杖とキリストの権威

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「彼は鉄のつえをもって、ちょうど土の器を砕くように、彼らを治めるであろう。」―黙示録2:27(口語訳)

聖書にたびたび登場する「鉄の杖(iron rod)」。

この表現は一見、厳しさや裁き、あるいは強権的な支配を連想させるかもしれません。

しかし、その背景には、命を導き、守るための揺るぎない秩序と正義があるのです。

鉄は、前回までに見たとおり、血液の中で酸素を運び、命の流れを律する金属でもあります。

この鉄が「杖」として描かれるとき、それは単なる支配の象徴ではなく、命と社会を正しく導く“神の秩序の象徴”として読み取ることができます。

 

「鉄の杖」は何を象徴するのか?

「鉄の杖」は旧約聖書の詩篇と新約聖書の黙示録に登場します。

おまえは鉄のつえをもって彼らを打ち破り、陶工の作る器物のように彼らを打ち砕くであろう」と。― 詩篇2篇9節(口語訳)

女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。― 黙示録12章5節(口語訳)

これらの言葉は王(キリスト)の支配を象徴しています。

その支配は、ただ“強い”だけではなく、混乱と腐敗を断ち切り、命を整える秩序の力でもあります。

また、聖書に出てくる「杖」は、導く(牧者の杖)、守る(敵を追い払う)、支える(歩行を助ける)、正す(迷った者を戻す)といった働きを意味しています。

ですから、「鉄の杖」は、暴力的な抑圧を意味するのではなく、杖としての役割を揺るがぬ神の義をもって果たす道具であり、命を支える規律としての裁きと導きを象徴します。

 

人の体に見る「鉄の支配」

人の体でも、鉄は酸素の運搬、エネルギーの産生、代謝の律し手として働いています。

鉄が不足すれば生命は滞り、機能は鈍りますし、反対に鉄が過剰でも毒になり、体を傷つけます。

ですから、鉄の働きには厳密な“律”が必要です。

キリストの支配もまたそれと同じように、「命を損なうことのない最も的確で正義に満ちた統治」といえます。

 

キリストの鉄の杖=愛と義の交差点

イエス・キリストの支配は、福音書を見れば明らかなように、暴力ではなく、癒しと真理によって導かれる支配です。

偽善には厳しく、悔い改めには憐れみ深い

人を圧迫する律法ではなく命を活かす律法

迷った者を正しながらも倒れた者を見捨てない

彼が「鉄の杖をもって治める」とは、真理と愛が完全に一致した支配のことです。

それは、人の心を砕き、魂を治め、人生を整える力を持っています。

 

私たちにとって「鉄の杖」とは?

私たちは「支配されること」に敏感で、時に拒否反応を示す傾向にあります。

しかし、本当は、正しく導かれることへの渇きや安心感を求めてはいないでしょうか?

誤った情報に振り回される時代

境界のない自由に疲れた人々

内面の秩序が失われ孤立する心

そんな時代にあって、キリストの「鉄の杖」は、人を罰する道具ではなく、命を正しく支配する秩序への招きなのです。

 

「塩」と「鉄」の関係

塩は命の腐敗を防ぎ、鉄は命の流れを整えます。どちらも命を守るための静かな力です。

塩が“地を清める者”であるなら、鉄の杖は“命を正す者”の象徴です。

信仰者は、塩のように祈りを捧げ、キリストは、鉄のように真理をもって治めます。

鉄の杖は、壊すためでなく、立て直すためのものですから、再創造の杖であり、真理に基づく支配は命を生かし、正しく導きます。

キリストは、その「鉄の杖」をもって、私たちの内なる混乱を整え、社会の秩序を回復し、何よりも、命を本来の姿へと立て直そうとしておられるのです。

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