聖書と精神神経免疫学―第6回 赦しと回復

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1 人間の心に残る怒り

人間の心には多様な感情が生まれます。喜びや感謝のように人を内側から支える感情がある一方で、怒りや恨みのように心に緊張を生み出す感情もあります。問題は、これらの感情のうち、後者が長く残る場合です。

人は生きる中で必ず傷つく経験をするものです。不当な扱いを受けることもあれば、信頼していた人に裏切られることもあります。その出来事は過去のものになっても、感情は消えません。

そして、その感情は繰り返しよみがえります。過去の出来事が何度も思い出され、そのたびに怒りが再びわきあがるのです。

ここに重要な点があります。怒りや恨みは、一度起こるだけの感情ではなく、繰り返される状態へと変わるということです。

そしてそのとき、人は気づかないうちに、その感情の中にとどまり続けるようになります。

 

2 怒りの持続がもたらすもの

怒りや恨みが続くとき、心の中では同じ思考と感情が反復されます。この反復が問題です。

人は現在を生きているようで、実際には過去の出来事に引き戻され続けます。その結果、心は常に緊張した状態に置かれます。

体も例外ではありません。怒りが続くとき、交感神経の働きが優位となり、体は緊張状態を維持します。

短時間であれば問題はありません。しかし、この状態が続くとどうなるでしょうか。

体は休息に入ることができなくなります。回復のための時間が確保されず、疲労は蓄積していきます。精神神経免疫学が示しているのは、まさにこの点です。

慢性的な心理的ストレスは、神経系や免疫系に影響を及ぼします。つまり、怒りや恨みは単なる感情ではありません。それは心と体の両方に作用する状態なのです。

 

3 聖書が示す解決―赦し

この問題に対して、聖書は明確な道を示します。それが「赦し」です。イエスは次のように語られました。

 もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。 もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。(マタイによる福音書6章14~15節)

ここで言われている赦しは、相手の行為を正しいと認めることではありません。では何でしょうか。

赦しとは、怒りや恨みによって維持されているこの「反復状態」を断ち切ることです。ここが決定的に重要です。

人を赦さないとき、縛られているのは相手ではありません。自分自身です。

 

4 赦しがもたらす変化

赦しは容易ではありません。むしろ困難です。しかし、それは不可能ではありません。なぜなら、赦しは、過去を変えることではなく、現在の反応を変えることだからです。

怒りの反復に対して、そこで立ち止まる、同じ思考に引き込まれない、この変化が起こるとき、何が起こるでしょうか。

まず、思考の反復が弱まります。次に、感情の強度が低下します。そして、心の緊張がほどけていきます。この一連の変化こそが回復です。

スタンフォード大学のフレッド・ラスキンらの研究でも、赦しの実践によって、ストレスや抑うつ(気分の落ち込み)が軽減されることが確認されています。

つまり赦しは、宗教的命令にとどまらず、心の働きを変える実践なのです。

 

5 心が変わると体が変わる

ここで見落としてはならない点があります。心の状態が変わると、体の状態も変わるということです。

怒りが続いているとき、体は緊張状態を維持しますが、赦しが起こると、その緊張が緩みます。体はようやく休息に入りって回復のプロセスが動き始めるのです。

人間の体は、本来回復するように造られています。問題は回復を妨げている心の状態です。

怒りや恨みはその妨げとなる要因の一つです。だからこそ、赦しが重要なのです。

 

6 神の赦しという出発点

最後に、最も重要な点に触れなければなりません。

聖書が語る赦しは、人間の努力から始まるのではありません。神の赦しから始まります。

人間は完全ではありません。誰もが過ちを犯します。しかし聖書は、その人間に対して神の赦しが与えられていると語ります。

 もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。(ヨハネの第一の手紙1章9節)

この赦しを受け入れるとき人は変わります。自分を責め続ける必要がなくなります。そして初めて、他の人を赦すことが可能になります。ここに赦しの出発点があります。

赦しとは、単なる道徳ではありません。それは、人間の内面を解放し、心と体の両方に回復をもたらす力なのです。

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