御霊(みたま)とみ言―生命情報としての神の贖い

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先回と先々回の記事では、創世記の「土のちり」を生命エネルギーの最小単位(ソマチッド)と重ね合わせ、「命の息」を生命情報としての御霊と解釈しました。

霊と肉が一致することによって、人は「生きたもの」となる――そこには生命の根本構造が表されています。

今回はさらに進めて、この「御霊=生命情報」がどのようにみ言と結びつき、復帰歴史やキリストの贖いと関係しているかを探っていきたいと思います。

 

1. 御霊とみ言は一体である

ヨハネによる福音書の1章1節にはこうあります。

 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

ここでいう「言(ロゴス)」は、単なる音声や文章ではありません。それは神の存在そのものを表し、命を方向づける「秩序・情報」として理解できます。

すでに第2弾の記事で確認したように、「命の息」は生命情報として人間に吹き込まれました。その延長線上に「み言」があります。

御霊が与える情報がみ言として現れ、それが人間を生かし、導く力となるのです。

 

2. 堕落とは「情報の断絶」

しかし、創世記の3章に記されている通り、人間は堕落によって神との関係を失いました。これは単なる道徳的失敗ではなく、命の息=生命情報との断絶です。

ちり=エネルギーの基盤は残っていても、正しい情報が流れ込まなければ命の秩序は保たれません。

例えるなら、不自然な情報を受けたソマチッドがウィルスに変容して無秩序に振る舞い、癌や病を引き起こすように、人間もまた霊的秩序を失った存在となってしまったのです。

ここから聖書は「復帰歴史」として、失われた情報の回復、すなわち御霊とみ言の再注入の歩みを描いていきます。

 

3. み言による再創造

イエスは、「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」(マタイ福音書4章4節)と語られました。

ここでの「パン」は物質的なエネルギー、「言葉」は生命情報です。つまり、肉体のエネルギーと霊的情報の両方があって初めて、人間は真に生きるのです。

キリストの働きは、単に道徳的模範を示すことではなく、み言を通して、再び失われた情報を人間に吹き込むことにありました。

それによって人間は再創造され、霊肉一致の本来の姿を取り戻すことができるのです。

 

4. 血と肉による贖い

さらに聖書は、御霊とみ言の働きを「血と肉」のレベルにまで具体化させています。ヨハネ福音書の6章53節でイエスはこう言われました。

 人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。

この表現は、まさに「血=生命情報」「肉=生命エネルギー」との深い関係を示唆しています。

イエスの十字架と復活によって与えられた贖いは、人類が失ってしまった生命情報をみ言として再び与え、肉的基盤を新たに活性化させる力をもたらすのです。

贖いの働きは抽象的な象徴にとどまらず、ソマチッドのような最小単位のレベルにまで影響を与え、人間全体を霊肉ともに回復するものと見ることができます。

 

5. 復帰歴史の完成へ

歴史は「断絶した情報」をいかに回復するかという歩みでもあります。

旧約の律法は血を通して秩序を保つものでしたが、それは部分的で不完全でした。イエス・キリストのみ言は御霊そのものであり、完全な生命情報として人類に与えられました。

将来的に聖書が預言する新しい天と地(黙示録21章)は、エネルギー(ちり)と情報(息)が完全に一致した世界です。

そこでは、命の川が流れ、命の木が実を結び、もはや死も病もない世界が実現すると記されています。

 

結び―御霊とみ言が導く新しい命

ソマチッドを生命エネルギーの最小単位とするなら、御霊とみ言はそのエネルギーを正しく導く情報です。

「ちり」だけでは死んだ存在にとどまる

「息」が吹き込まれるときに生命となる

み言によって秩序が回復され、霊肉一致が成し遂げられる

こうして見ると、聖書の「贖い」とは、失われた情報を再び注ぎ込み、エネルギーと調和させることです。それは人間一人ひとりの内にあるソマチッドのレベルにまで及ぶ、徹底した回復の業といえるでしょう。

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