食べることも飲むことも、神の栄光のために─体と信仰を結びなおす

このカテゴリーでは、「健康」や「癒し」、「食事」「病気」といったテーマを、聖書のことばとともに見つめてきました。

ふり返ってみると、どの瞬間にも、神がすぐそばにいてくださったことを感じます。

🍽 食卓の祈りからはじまる信仰生活

私が「いただきます」と祈るようになったのは、体調を崩してからのことでした。

それまでは流れるように食事を済ませていたのですが、祈ってから食べるようになってから、

「この一皿の背後にも、神の備えがある」

と気づかされるようになったのです。

「神の国は飲食ではなく、義と、平和と、聖霊における喜びとである。」──ローマ人への手紙14章17節

食事は、命を支えるだけでなく、「神と共にある生活」の出発点。
日々の何気ない場面こそ、信仰の実践の場なのだと思います。

 

🌿 私の存在そのものが主の礼拝

日々の働き、歩くこと、休むこと、食べること、そして祈ること――そのすべてが、神の栄光をあらわす機会になる。

「だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである。」──コリント人への第一の手紙10章31節

私は、何か大きなことをしなくても、今ここに生きているということそのものが、神の喜びであると信じるようになりました。

 

🙏 私のいのちは主のもの

完全に健康ではなくても、悩みや不安を抱えていても、それでも「主のものとして生きる」ことができます。

「わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。」──ローマ人への手紙14章8節

この御言葉に何度も助けられてきました。
そして、あなたにもこの言葉が届けばと心から願っています。

 

✨ 結び:すべてを恵みに変えてくださる方

「健康」や「癒し」は人生の一部にすぎません。
でもその中にこそ、神のまなざしと恵みが豊かに注がれています。

私たちがどんな状態にあっても、
主の前にある人生には意味があり、価値があります。

今日もこのからだを持って、主にお応えしていきましょう。
食べるにも、飲むにも、祈るにも――神の栄光のために。

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