聖書に学ぶ健康

聖書の健康観―第3回 旧約律法に見る自然免疫を破壊しない生活規範

1.旧約の律法は命を守るための医学的知恵旧約聖書、とりわけレビ記と申命記には、細かい生活規範が数多く記されています。現代の読者にとっては「なぜこんなことまで?」と思うような規定が多いかもしれません。しかし、医学が発達していなかった古代世界に...
聖書に学ぶ健康

聖書の健康観―第2回 創世記の創造秩序と自然の健康法

1.「良しとされた」という創造の宣言に込められた健康の秩序創世記1章31節には、「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった」と記されています。この“良し”という言葉には、単なる美しさや完成度の高さだけではなく、世界が調...
聖書に学ぶ健康

聖書の健康観―第1回 人間の体には神が備えた治癒力がある

1.聖書は「人間の体は自ら癒えるように造られた」と語る人間の健康を考えるとき、現代医学は、しばしば外からの介入(人間による医療行為)に目を向けます。しかし聖書は、はるか以前から、人間の体そのものに「回復しようとする力」が組み込まれているとい...
進化論批判

聖書と進化論の限界Ⅱ―第7回 科学の限界と啓示の回復

前回までに、宇宙の秩序・生命の情報構造・倫理・人格という四つの次元から、世界がロゴスに基づく意味の秩序として成り立っていることを論じてきました。本回では、このシリーズ全体を振り返りながら、科学と啓示の関係を整理し、ロゴスに基づく合理性とは何...
進化論批判

聖書と進化論の限界Ⅱ―第6回 霊的人格の存在証明

前回は、倫理の根源がロゴスにあることを論じました。善悪を判断し、罪悪感を抱き、正義を守ろうとする力は、人間が意味の秩序に応答する存在として造られたことの証しです。では、この「意味に応答する存在」とは何でしょうか。それが本回のテーマである「人...
進化論批判

聖書と進化論の限界Ⅱ―第5回 倫理の起源

1. 人間だけが善悪を問うこの世界には多様な生命が存在します。しかし、自らの行為を「善い」「悪い」と評価し、その判断に責任を感じる存在は人間だけです。動物にも協力行動や攻撃行動は見られます。だが動物は、「これは正しい行為か」と自問したり、罪...
進化論批判

聖書と進化論の限界Ⅱ―第4回 宇宙の微調整(fine-tuning)

1. 宇宙は「生命が存在できるように調整されている」現代宇宙論が明らかにした最も驚くべき事実の一つは、宇宙の物理定数が生命の存在を許すよう、極めて精緻に調整されているという現象です。これは「宇宙の微調整(fine-tuning)」と呼ばれ、...
進化論批判

聖書と進化論の限界Ⅱ―第3回 DNAは「言葉」なのか

1.生命の核心は「物質」ではなく「情報」である生命とは何か。この問いに対して、20世紀以降の生物学は決定的な転換を経験しました。それは、「生命を特徴づけるのは物質ではなく情報である」という発見です。DNAが生命の遺伝情報を担い、その配列が生...
進化論批判

聖書と進化論の限界Ⅱ―第2回 進化論とニーチェ:“神の死”が生んだ虚無主義の構造

前回は、ダーウィンとマルクスが共有する「意味なき世界」という前提を検討しました。本回では、その思想的帰結がニーチェの虚無主義という形でいかに現れたかを追います。1. 進化論とニーチェはなぜ同じ地平に立つのかダーウィンの自然選択論とニーチェの...
進化論批判

聖書と進化論の限界Ⅱ―第1回 ダーウィンとマルクス:進化論と唯物史観の共通構造

1. なぜダーウィンとマルクスは“対”で扱われるのか近代思想を語る上で、しばしばダーウィンとマルクスは同じ地平に置かれます。一方は生命の起源を、もう一方は社会の仕組みを説明しようとした人物ですが、彼らの理論には深い共通点があります。具体的に...