疾病の根本原因とその対策

天和堂-心身統一と家庭和合の修練 第1章(2)なぜ心と体の統一が必要なのか

目次第1章 「心身統一」とその必要性 (1)「心身統一」訓練の前提となること (2)なぜ心と体の統一が必要なのか(←本記事の内容) (3)沈黙に耳を傾けることでなぜ沈黙が破れるのか第2章 「思いの列車」から統一主義へ向かう道 (1)「思いの...
疾病の根本原因とその対策

天和堂-心身統一と家庭和合の修練 第1章(1)「心身統一」訓練の前提となること

目次第1章 「心身統一」とその必要性 (1)「心身統一」訓練の前提となること(←本記事の内容) (2)なぜ心と体の統一が必要なのか (3)沈黙に耳を傾けることでなぜ沈黙が破れるのか第2章 「思いの列車」から統一主義へ向かう道 (1)「思いの...
聖書と心身の健康

聖書と禅シリーズ⑦「心が動けば世界も動く」― 現実は“心の鏡”であるという真理

世界が暗く見えるとき。人の言葉が刺のように感じるとき。何もかもがうまくいかず、未来が見えなくなるとき。そんなとき、私たちは「外側の現実」に振り回されているように思いがちです。でも、禅はこう語りかけます。「心が動けば世界も動く」つまり、世界の...
聖書と心身の健康

聖書と禅シリーズ⑥「門外に出ずして世界を見る」― 静かな日常の中にすべてがある

遠くへ行けば、何かが変わる気がする。知らない土地、新しい本、刺激的な出会い――私たちはよく、「今ここではないどこか」に救いや答えを求めます。しかし、禅の世界にはこうした言葉があります。「門外に出ずして世界を見る」それは、「特別な場所に行かず...
聖書と心身の健康

聖書と禅シリーズ⑤「言葉にした瞬間、それはもう真実ではない」― 教えすら捨てる勇気

私たちは、信仰を語ろうとするとき、どうしても「言葉」に頼ります。聖書の言葉、神学的な表現、自分なりの証し――いずれも大切な手段です。禅はこう問いかけてきます。「言葉にした瞬間、それはもう真実ではない」この言葉は、一見すると信仰そのものを否定...
聖書と心身の健康

聖書と禅シリーズ④「知ろうとするな、ただ見よ」―理解ではなく、体感が真実に導く

「神を知りたい」「信仰を理解したい」そう願うことは、まっすぐで誠実な思いです。しかし、禅の教えはこう語ります。「知ろうとするな。ただ見よ。」これは、クリスチャンにとっても、とても示唆に富む言葉ではないでしょうか。知識は“入り口”にすぎない信...
聖書と心身の健康

聖書と禅シリーズ③「無心とは何か?」― 心を空にするのではなく、すべてを受け入れる

「無心(むしん)」――これは禅の世界でよく語られる言葉です。しかし、「何も考えないこと」や「感情を無くすこと」だと誤解されがちです。実は、「無心」というのは、単なる“空白”ではありません。むしろ、それはあらゆるものを受け入れる、広くて柔らか...
聖書と心身の健康

聖書と禅シリーズ②「坐って何になるのか?」―何もしない時間にこそ、神の声が聞こえる

「坐禅なんて、意味があるんでしょうか?」「ただじっと座っているだけで、いったい何が変わるの?」私たちは、つい“意味”や“成果”を求めてしまいます。じっとしている時間は「無駄」に感じられ、手を動かしたり、何かを生産したりしていないと、不安にな...
聖書と心身の健康

聖書と禅シリーズ①「神に出会ったら、それにすがるのをやめよ?」― 禅が問いかける“偶像なき信仰”の姿

「仏に逢ったら、仏を殺せ」(臨済義玄:中国唐代の禅僧)――。初めてこの禅の言葉に出会ったとき、私は心の中で即座に反発を覚えました。「神を否定するなんて、とんでもない」「キリスト者として、これは受け入れがたい思想だ」そう思ったのです。しかし、...
文鮮明先生の聖書解説

『原理原本』に見る文鮮明先生の聖書解説12-モーセに対する神の試練と割礼の根本意義

『原理原本』に見る文鮮明先生の聖書解説12モーセに対する神の試練と割礼の根本意義 モーセは自分の妻子をつれて神の杖をもってエジプトに帰るのだが、次のようにパロに伝えることを神から言われていた。 「イスラエルはわたしの子、わたしの長子である。...