神が人を造られたとき、男性と女性に異なる性を与えられました。
聖書はその違いを対立ではなく、互いを補い合い、一体となるためのものとして描いています。
現代科学は、この男女の違いの背後に「テストステロン」と「エストロゲン」という二つの主要な性ホルモンが働いていることを明らかにしました。
これらは人類の存続に欠かせないものであり、聖書の言葉とも深く響き合っています。
男性性とテストステロン
テストステロンは男性ホルモンの代表格で、筋肉や骨格の発達、闘争心、積極性、生殖能力に関わります。若者の力強さや精力的な生き方は、このホルモンの作用と深く結びついています。
箴言20章29節にはこうあります。
若い人の栄えはその力、老人の美しさはそのしらがである。(箴言20章29節)
若者が誇る力強さは、まさにテストステロンが生み出すものです。
またヨシュア記1章9節では「強く、雄々しくあれ」と繰り返し命じられています。勇敢さや行動力も、男性ホルモンがもたらす傾向を思わせます。
さらに、創世記1章28節で、神は「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」と命じられました。
これは男性の生殖能力とも関わり、テストステロンが人類の繁栄を支える役割を担っていることを示唆しているように思えます。
女性性とエストロゲン
一方、エストロゲンは女性ホルモンの代表で、月経周期や妊娠・出産に関わり、女性らしい体つきや優美さを形作ります。
また、骨や皮膚の健康を守り、母性や優しさを支える働きもあります。
詩篇128篇3節にはこう書かれています。
あなたの妻は家の奥にいて多くの実を結ぶぶどうの木のようであり、(詩篇128篇3節)
ぶどうの木は豊かさと多産の象徴です。女性が子を宿し、家庭を豊かにする姿は、エストロゲンの働きを思わせます。
また雅歌には、女性の美を賛美する表現が数多く見られます。
わが愛する者よ、見よ、あなたは美しい、見よ、あなたは美しい。あなたの目は、顔おおいのうしろにあって、はとのようだ。あなたの髪はギレアデの山を下るやぎの群れのようだ。(雅歌4章1節)
古代的なたとえですが、女性の魅力と美しさを強調する表現は、女性ホルモンが生み出す身体的特徴や優雅さを連想させます。
補い合う存在としての男女
聖書は、男と女を互いに独立した存在としてではなく、補い合うものとして描いています。
創世記2章24節にはこうあります。
それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。(創世記2章24節)
そして、コリント人への第一の手紙11章11~12節には、次のように記されています。
ただ、主にあっては、男なしには女はないし、女なしには男はない。それは、女が男から出たように、男もまた女から生れたからである。そして、すべてのものは神から出たのである。(コリント人への第一の手紙11章11~12節)
これは生物学的にも霊的にも真理です。男性ホルモンと女性ホルモンは互いに変換されながら働き、バランスを取り合っています。人類の命は男と女の協力なくして続くことはできません。
性ホルモンと霊的象徴
テストステロンは力と勇気、エストロゲンは美と母性を象徴します。
しかし、聖書が語るのは、どちらかが優れているということではなく、両者が共にあって「神のかたち」をなすということです。
創世記1章27節にはこうあります。
神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。 (創世記1章27節)
ここに、男女の性差が神の創造の一部であり、互いに補い合うためのものであることが示されています。性ホルモンの働きは、この創造の秩序を肉体的に支えているのです。
結びに
テストステロンとエストロゲンは、男性と女性を特徴づけるホルモンですが、それぞれが神の創造の秩序を担っています。
力強さと優しさ、勇敢さと美しさ、積極性と母性…。これらは対立するのではなく、互いに響き合って人間を豊かにし、命をつないでいきます。
「男なしには女はないし、女なしには男はない」という御言葉は、性ホルモンの相互作用と一致を思わせます。
神は人間を霊と肉、男と女の調和の中に造られました。性ホルモンは、その神秘を体の奥底で支える神の道具なのです。