1. はじめに:科学と信仰は“対立関係”ではなかった
現代では、科学と宗教は対立するものというイメージが広く浸透しています。
しかし、歴史を振り返ると、科学と信仰は、対立どころか、むしろ深い調和のもとに発展してきました。
近代科学の基礎を築いた人物の多くは敬虔なクリスチャンであり、自然法則を探求することを神への奉仕として理解していました。
科学史を丹念にたどると、科学は無神論や唯物論の中から生まれたのではなく、聖書的世界観が提供する“秩序ある宇宙”という前提の上に誕生したことが明らかになります。
本記事では、近代科学の成立過程を神学・思想史の観点から検証し、なぜ科学がヨーロッパのキリスト教文化圏から誕生し得たのか、そして、なぜ進化論が19世紀に台頭したのかを明らかにします。
2. 科学を誕生させた聖書的世界観
①宇宙には秩序があるという確信
聖書は、世界が偶然ではなく神の言(ロゴス)によって造られたと語ります。
この理解は、宇宙が法則に従って秩序ある構造を持つという確信を生みました。
ケプラーは「私は神の思考を追体験している」と語り、ニュートンは「自然法則は神の意志の反映である」と述べ、マクスウェルは祈りの中で研究を進めたと記録されています。
彼らにとって自然法則の探求は、神が創造した秩序を読み解く行為にほかなりませんでした。
偶然に支配された宇宙では、自然法則の存在を前提として研究することはできません。
科学的探究は、宇宙に秩序があるという前提を必要とし、その前提は聖書的創造観が提供したものです。
②人間の理性が宇宙を理解できるという確信
聖書は、人間が“神のかたち”として造られたと語ります。この理解が、人間の理性は自然界を理解できるという希望を生みました。
偶然の進化で生まれた脳が、偶然の宇宙を正確に理解できるというのは、論理的に成立しません。
しかし、神の理性の反映として造られた人間であれば、宇宙の秩序を理解できるのは当然です。こうした思想的背景が、科学的研究を可能にしました。
3. なぜ近代科学はキリスト教世界から生まれたのか?
科学的思考は、ギリシャにもイスラム世界にも存在しました。しかし、統一的な自然法則の体系としての“科学” は、ヨーロッパのキリスト教文明において初めて成立しました。その理由は明確です。
①「自然の人格化」が排除された
多神教の世界観では、自然現象には神々の意思が宿り、一定の法則よりも、神々の気まぐれが優先されます。
しかし、聖書の世界観では、自然そのものは人格を持たず、神によって秩序正しく創造された対象です。
こうした理解が、自然を法則的に分析することを可能にしました。
②「理性の価値」が神学的に保証された
聖書は人間の理性を肯定します。神が理性的存在である以上、人間の理性も神の似姿として尊重され、自然界を理解する力が与えられていると信じられました。
③時間は直線的であり、歴史は意味を持つ
キリスト教世界観は、世界の初めと終わりを前提とする“直線的歴史観”を持ちます。
この理解は、自然現象の因果関係を探求する動機となり、科学の成立に向かわせました。
輪廻中心の世界観では、因果律より循環が優先され、科学的探究の動機が弱まります。
こうした文化的・哲学的要素が重なり、近代科学はキリスト教世界観の中からのみ誕生し得たのです。
4. 19世紀に「科学対宗教」の構図が作られた理由
19世紀のヨーロッパでは、啓蒙主義と市民革命を背景に「宗教的権威からの解放」を求める思想が広がりました。
この潮流の中で、宗教を否定し、科学を新しい権威として持ち上げる動きが起こります。
ダーウィンの進化論は、まさにこの思想的背景の中から現れました。
①進化論は科学というよりも“思想運動”だった
進化論は、生物の起源を説明する新しい科学理論というより、神を否定し、世界を偶然で説明するための新しい物語として歓迎されました。
科学的証拠よりも、「神に頼らない世界観を構築したい」という思想的欲求が先にあり、進化論はその欲求を満たす枠組みとして受け入れられたのです。
②「科学対宗教」の構図は人工的に作られた
歴史的に見ると、科学と信仰は調和していました。しかし、19世紀以降、宗教を後退させたい勢力によって、意図的に「科学=理性」「宗教=非合理」という構図が作られました。
この構図は、科学史にも科学哲学にも根拠を持ちません。むしろ、近代科学の誕生は、キリスト教の世界観があったからこそ可能になったのです。
5. 科学的探究と信仰は両立する
ケプラーは「私は神の法則を読み解いているだけだ」と述べ、ニュートンは『プリンキピア』の末尾で神への賛美を書き記し、マクスウェルは研究室に詩篇の言葉を掲げていました。
彼らにとって、科学は神の造られた秩序の理解にほかなりませんでした。
世界がロゴス(言)によって創造されたのなら、自然法則とはロゴスの“文法”であり、科学とは神の言語を解読する営みです。
進化論が想定する“偶然の宇宙”では、科学を成立させる理由そのものが存在しません。
6. 結論:科学は創造論の敵ではなく、むしろその果実である
科学史を正しく理解すると、次の真理が浮かび上がります。
●科学はキリスト教世界観の中で生まれた
●自然界の秩序は神のロゴスの反映である
●人間の理性は神の似姿として自然を理解する力を持つ
●科学と信仰は本来調和しており、対立構図は19世紀の人工的産物である
進化論は“無神論的自然観”という思想運動の一部であり、科学的に証明されたものではありません。
そして何より、科学は偶然の宇宙では成立しませんが、ロゴスによる創造の宇宙では自然に成立するのです。これこそ科学と信仰の関係史が私たちに教える結論です。

