聖書と進化論の限界Ⅰ―第7回 DNA・エピジェネティクス・複雑系科学が示す進化論の限界

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1. はじめに:21世紀の生物学は進化論の限界を暴きつつある

ダーウィンが進化論を提唱した19世紀、生命の仕組みはほとんど知られていませんでした。

細胞は単純な構造と思われ、遺伝の仕組みも解明されていなかったため、「小さな変化が蓄積すれば新しい生物が生まれる」という説明は、一見合理的に見えました。

しかし、21世紀の生物学が解明したのは、生命が予想をはるかに超える精密さと秩序を備えた“情報システム”であるという事実です。

DNAのコード、タンパク質合成、細胞内の複雑なネットワーク、環境応答の仕組みなど、生命のすべては高度に統合された意味の体系として働いています。

その結果、進化論が説明できない領域が増え続け、逆に説明が破綻する部分が明らかになってきました。

本記事では、現代生物学が突き当たっている“進化論の壁”を、情報論、複雑系科学、言語存在論の視点から検討します。

 

2. DNA情報の起源という最初の壁―「情報」は自然現象の産物ではない

生命の基盤であるDNAは、単に化学物質が並んだ分子ではなく、生物の構造と機能を規定する高度な情報体系です。

塩基の並びは化学反応の結果ではなく、意味をもった指令として働きます。

細胞は、DNAに刻まれた情報を状況に応じて読み取り、その指令に従ってタンパク質を作り出し、代謝を整え、必要に応じて修復作業まで行います。

ここで重要なのは、「情報」とは物質そのものではなく、“意味”を前提とする構造という点です。

ランダムな変化から一貫した意味をもつ文章が生まれないように、偶然の突然変異から生命の秩序ある情報体系が生成されることはありません。

意味のある情報は、意味の体系の内部でしか生じません。言語存在論が示すように、意味は偶然から生まれず、必ず意図をもつ主体に由来します。

生命情報の起源は、進化論が最も説明しにくい領域であり、むしろ生命が“意図されたもの”であるという理解のほうが自然です。

 

3. エピジェネティクスの発見が示す“遺伝の多層構造”

かつては「遺伝情報=DNA」という単純な図式が広く受け入れられていました。

しかし、21世紀に入ると、遺伝子の“読み方”や“使い方”を制御する仕組みが発見され、生命は単なるコードの集まりではなく、多層的な制御ネットワークをもつ極めて高度なシステムであることが明らかになりました。

同じDNAを持つ細胞が、皮膚にも神経にも筋肉にもなるのは、遺伝子の発現パターンを細かく制御する仕組みがあるからです。

メチル化やヒストン修飾、RNAによる調整など、複数の階層が組み合わさって遺伝情報を文脈に応じて使い分けています。

生命とは、文字の集合ではなく、文字の並び方・読み方・解釈の仕方まで含めた総合的な情報体系なのです。

進化論が前提とした「変異→選択→蓄積」という単純なモデルでは、この多層的な制御構造を説明できません。

 

4. 複雑系生物学が突きつける問題―生命は“設計図”ではなく“動的ネットワーク”である

現代生物学の最前線は、生命を巨大な動的ネットワークとして理解しています。

細胞は、数多くの分子が互いに認識し、情報を受け渡しながら、複雑な処理を同時に進めています。

そこには、分岐や統合、フィードバック、エラー修正といった高度な“判断”が常に働いているのです。

このような複雑なシステムでは、どこか一部を偶然変化させれば、全体のバランスが崩れ、生命活動は維持できなくなります。

つまり、「小さな変化が積み重なれば複雑な機能が生まれる」というダーウィン的発想は、複雑系科学と真っ向から矛盾します。

生命は部分の寄せ集めではなく、全体が統合されて初めて成立するシステムであり、その複雑性は、自然選択と突然変異の積み重ねでは決して生じません。

 

5. 設計論(ID)が学術的議論の対象になった理由―宗教ではなく「科学的な問題提起」である

インテリジェント・デザイン(ID)は、しばしば宗教的立場だと誤解されますが、その主張の中核はきわめて科学的です。

それは、生命が備える情報構造や統合性が、自然過程だけでは説明できないという事実に基づきます。

IDが提示するのは、「生命の複雑性は意図されたものと考える方が合理的である」という科学的推論です。

自然主義の枠組みでは説明できない問題を提示し、生命の背後に意図をもつ原因が存在する可能性を開こうとする試みであり、宗教的教義を押しつけるものではありません。

IDが批判される理由の多くは、「科学は自然主義であるべき」という思想的前提に基づくもので、科学そのものから導かれる結論ではないのです。

生命科学の発展が生命の情報性を明らかにするほど、IDの問題提起は無視できないものになっています。

 

6. 進化論は“統一理論”ではなくなった―分野ごとに異なる進化モデルが乱立する現実

かつて進化論は、生物学全体を統一する理論として扱われてきました。

しかし今では、研究分野ごとに異なる進化モデルが採用され、理論の統一性はほぼ崩れています。

突然変異と自然選択だけでは説明できない現象が多数見つかり、研究者たちは、それぞれ異なる理論的枠組みを用いて対応しようとしています。

ある分野は遺伝子の揺らぎを中心に説明し、別の分野は急速な種の転換を重視し、また別の分野はネットワーク全体の再編成による変化を強調します。

しかし、これらは相互に矛盾を含み、ひとつの統一した理論にまとめることはできません。

この状況は、進化論がもはや「生命の起源と発展を説明する包括的理論」としての位置を失いつつあることを示しています。

進化論は現代科学の発展に追いつけず、生命科学の分野で中心的地位を維持するための根拠を失っているのです。

 

7. 結論:生命は“情報システム”であり、自然主義では説明できない

生命科学が進めば進むほど、生命は単に物質が偶然に組み合わさった存在ではなく、統合された情報システムとして働くことが明らかになってきました。

細胞は環境を読み取り、状況に応じて自らを調整し、必要に応じて修復や補正を行います。

この振る舞いは、単なる反応ではなく、意味と目的を前提とした高度なシステムです。

進化論は生命を偶然の結果として説明しますが、現代生物学はその前提を支えられなくなっています。

生命が意味を持つ情報体系である以上、その起源は“意味を与える存在”に求められるべきです。

言語存在論が示す通り、世界と生命はロゴス(言)によって創造され、人間はその言語的秩序の中で生きるよう造られました。

生命の本質が情報であるという事実は、自然主義的進化論が抱える限界を露わにし、聖書的創造論の信頼性を一層高めています。

生命の背後に創造主の意図があると理解することこそ、現代生物学の発展に最も整合する解釈と言えるでしょう。

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