聖書と量子力学―第10回 量子情報と霊的記憶

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1.「情報」とは何か―物質を超える概念として

現代物理学は、物質を単なる粒子やエネルギーの集合としてではなく、「情報を保持する存在」として扱う傾向を強めています。

情報とは、表面には見えない“構造”や“秩序”を指す概念であり、物理世界に深く根ざした要素です。

粒子の状態や位置、運動量は情報であり、宇宙の広がりも情報の集積として理解されつつあります。

量子力学の世界では、情報は単に記録されるだけではなく、保存され、変換され、他の粒子と共有されることがあります。

量子情報理論は、量子的状態そのものを情報として扱い、世界の根底に「情報の保存性」があることを示しています。

この情報に関する物理学的視点は、聖書が語る「記憶」の概念――書の巻、命の書、魂に刻まれる記録――と対話できる興味深い領域を開くものと言えるのではないでしょうか。。

もちろん、量子情報が霊的記憶そのものを説明するわけではありませんが、「情報が存在の本質に関係する」という構造は、聖書が用いる“書”の比喩に新しい光を与えてくれるものです。

 

2.量子情報は消えない―情報保存の法則

量子論には「情報は消失しない」という考え方が存在します。量子状態は変化しても、全体として情報は失われずに保存されるという原理です。

これは古典的な「情報は破壊され得る」という直観とは対照的です。

この原理を理解するために、一枚の紙に書かれた文字を想像できます。

紙を燃やせば文字は消えますが、物理学の視点から見れば、紙を構成していた原子は別の形で存在し、熱や煙として宇宙に広がります。

紙の上の「情報」は表面から消えても、物質の変化として宇宙全体の中に保存されています。

量子情報理論は、この「情報保存」の考え方を強調し、世界の根底に、情報が消えずに流動する仕組みがあることを示します。

量子的状態は変化しますが、その変化は情報の再配置であり、情報の本質が完全に失われることはないという理解です。

このような科学的視点は、「人間の行いは記憶される」という聖書的直観と、ある種の構造的共通性を持っています。

 

3.聖書が語る記憶

ここで、旧約における記憶の“書”の概念を示す重要な証言がマラキ書にあります。

 そのとき、主を恐れる者は互に語った。主は耳を傾けてこれを聞かれた。そして主を恐れる者、およびその名を心に留めている者のために、主の前に一つの覚え書がしるされた。(マラキ書3章16節)

この聖句は、神が人間の行いと心の動きを記録として保持されるという、旧約的理解を最も明確に示す箇所です。霊的な記憶は神の前に保存されるものであるという、聖書全体の主題を象徴しています。

このように、人間の行動や心の状態が「書き記される」という表現が、聖書にはたびたび登場します。

 また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。(ヨハネの黙示録20章12節)

ここで語られる「いのちの書」は、単なる比喩以上の重みを持ちます。

聖書は、神が人間の行いを覚えておられ、それらの記録が神の前に保たれていると繰り返し語っているのです。また、詩篇には次のような表現があります。

 あなたはわたしのさすらいを数えられました。わたしの涙をあなたの皮袋にたくわえてください。これは皆あなたの書にしるされているではありませんか。(詩篇56篇8節)

この言葉は、単なる詩的表現ではなく、「神は人の歩みを見過ごされず、記憶される」という神学的確信を表しています。

神の記憶は、単なるデータ保存ではなく、人間の存在の価値を確認する行為です。

つまり、聖書が語る“書”とは、神の前における人格の記録であり、存在全体の価値を認めるための“霊的な保存領域”としての意味を持っているのです。

 

4.魂の記憶とは何か―人間の内面に刻まれる記録

人間の魂は、科学で扱われる物質的記憶とは異なる領域に属しますが、魂にもまた刻まれていくものがあります。

人生の経験、感情の動き、善悪の選択は、単に脳内の電気信号としてではなく、人格全体を形づくる“記憶”として積み上げられます。

この魂の記憶という概念を理解するには、人生の出来事が人の内面を深く形づくっていく様子を思い起こすと分かりやすいでしょう。

一つの出来事が心に残ると、それは単なる過去の記録ではなく、未来の選択に影響を与えることがあります。

ですから、魂の記憶は、単なる情報の蓄積ではなく、人格を形成する“重みある記録”なのです。

聖書が語る「わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす」(エレミヤ書31章33節)という聖句も、外側に書かれたものが内面に移され、人間の内に永続的な指針として保存されることを示しています。

魂は記憶の場であり、その記憶は人間の行動や価値観を根底から支えるものです。

 

5.量子情報と霊的記憶の交差点―消えないという構造的共通性

量子情報理論が示すのは、「世界から情報が完全に消えることはない」という構造です。

情報は形を変えても、根底に流れ続けます。この物理的構造は、聖書が語る「記録の保持」という霊的理解と、一部の点で象徴的な共鳴を見せています。

聖書は人の行いが神の前に忘れられずに記録されると語ります。善が報われ、悪が裁かれるという道徳的秩序は、神が記憶される方であるという前提に基づいているのです。

この霊的「記録」が意味するのは、存在の内側に刻まれる重みであり、魂の次元での情報の永続性です。

量子論も、世界が情報の保存性を持つという理解に至りました。量子状態は変化しても、情報そのものは消えずに残るという性質です。

もちろん、量子情報が霊的記憶を説明するわけではありません。しかし、「記憶は消えず、根底に残り続ける」という構造的類似は、両者を比較する際に重要な示唆を与えてくれるのです。

 

6.聖書が語る書と量子情報―記録とは存在を支える構造である

聖書が語る書は、人間の存在の価値を神が覚えておられるという象徴であり、単なる帳簿ではありません。これは存在そのものを支える「記録」です。

一方で、量子情報は、物質世界を支える情報の構造です。物資の振る舞いは情報に基づいて展開し、その情報は宇宙の根底に広がる秩序の一部です。

両者は対象も目的も異なりますが、「存在の背後に情報があり、その情報が消えずに保存される」という点で、共通した構造を備えていると言えます。

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