1.はじめに─聖書と科学は本当に矛盾しているのか?
聖書、とりわけ創世記の1章に記された天地創造の物語は、長いあいだ「科学と対立するもの」として語られてきました。
「神が6日で世界を造った」という記述と、「宇宙は約138億年前に始まった」という現代宇宙論の説明とを、そのまま同じ次元で比較すると、確かに矛盾しているように見えるからです。
しかし、そもそも聖書は、自然科学の教科書として書かれたものではありません。
聖書は、世界がいかなる意味と秩序をもって存在しているのか、またその背後にどのような意志と目的があるのかを語る書物です。
そのことは、いくつかの代表的な聖句からもはっきりと読み取ることができます。
①「はじめに神は天と地とを創造された」(創世記1・1)
世界が偶然や必然の連鎖によって自然発生したのではなく、明確な意図と意志をもって始められたものであること、すなわち世界には意図的な起源があることを示しています。
②「わが思いは、あなたがたの思いとは異なり」(イザヤ55・8)
世界を貫く設計思想や秩序の原理が、人間の思考や理解の枠を超えた次元に属するものであることを示しており、世界の構造が人間中心の発想によって説明し尽くせるものではないことを明らかにしています。
③「神のなされることは皆その時にかなって美しい」(伝道の書3・11)
超越的な意志と設計が、決して恣意的や混乱した形で現れるのではなく、時と順序と配置をもった秩序ある構造として実現されていることを語っています。
これら三つの聖句はそれぞれ、世界には意図的な起源があり、その設計思想は人間の理解を超えた次元に属し、しかもそれは秩序と構造とタイミングをもって具体的な世界として現れている、という聖書の一貫した世界観を示しています。
言い換えれば、科学は「世界がどのように動いているのか」という仕組みを解き明かし、聖書は「なぜそのような秩序ある世界が存在しているのか」という意味と目的を語っているのです。
この二つは本来、同じ次元で競合するものではなく、むしろ互いに異なる領域を補い合う関係にあるのです。
2.創世記の1章は世界の構造を語っている
創世記の1章は、世界の成立を「6日間」という枠組みで描いていますが、その主眼は出来事の経過時間を説明することではなく、混沌とした状態に、秩序が与えられていく過程を示すことにあります。
そこでは、光と闇、上の水と下の水、陸と海といった区別が次々に与えられ、さらに種に従う生命の秩序や、日と月による時間の秩序が確立されていきます。
これは単なる出来事の羅列ではなく、「混沌から秩序へ」という一貫した構造変化を描く、きわめて文学的かつ神学的な叙述です。
創世記は「地は混沌であって」(創世記1・2、新共同訳)と語りますが、ここで用いられている「混沌」という言葉は、破壊された状態というよりも、まだ分化も確定もしていない未分化・未確定の状態を指しています。
この状態は、量子論が示す「重ね合わせ」としての世界像とよく似ています。
そして、神は「光あれ」(創世記1・3)と言われますが、これは単なる物理的な光源の創造ではなく、宇宙全体に秩序と方向性と意味を与える、根本的な宣言であったと理解することができます。
3.量子論が示す「未確定の世界」とは何か
現代の量子論は、私たちの日常的な直観とはまったく異なる世界像を示しています。
量子の世界では、粒子は観測されるまで特定の位置や状態を持たず、複数の可能な状態が同時に成り立つ「重ね合わせ」の状態として存在しており、観測によって初めて一つの状態に確定します。
また、一度相互作用した二つの粒子は、どれほど離れても瞬時に対応した変化を示すという、いわゆる「量子もつれ」の現象も知られています。
これらが示しているのは、世界が最初から「固い物質の集合」として存在しているのではなく、むしろ意味づけや観測という行為を通して形を取る構造をもっているということです。
ここで重要なのは、量子論が神秘主義を語っているのではなく、世界の深層構造そのものが、固定された実体ではなく、開かれた可能性の場として存在している事実を記述している点にあります。
4.創世記の「混沌」と量子の「未確定性」
創世記の1章は世界の始まりを、「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」(創世記1・2、新共同訳)と描写します。
この「混沌」とは、形がまだ分かれておらず、働きも確立しておらず、意味も定まっていない状態を指しています。
これは、量子論が示す「未確定性」や「重ね合わせ」という概念にきわめて近い状態です。
そして神の言葉によって、世界は次第に「区別され」、秩序を獲得していきます。
創世記の1章では、神が創造の各段階において「見て、良しとされた」という表現が繰り返されますが、これは世界が神の認識、すなわち意味づけによって秩序が与えられていくという構造を示しています。
この点は、量子論における「観測が状態を確定させる」という構造と、象徴的なレベルで深く対応していると言えるでしょう。
5.科学と聖書の構造的な一致
ここで、聖書と量子論の核心が交わる地点が見えてきます。聖書は、混沌とした状態が神の言葉によって秩序へと移行していく過程を描き、量子論は、未確定の状態が観測によって確定した状態へと移行する構造を示しています。
両者は対象も目的も異なりますが、「未確定の状態から意味ある秩序が立ち上がる」という点で、共通した構造を備えています。
さらに聖書は、「見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである」(ヘブル11・3)とも語ります。
これは物質が物質以前の「見えない秩序」から生じたという、きわめて現代的な宇宙観を示す言葉です。
量子の世界において、「見えない波」が「粒として観測される」という現象は、この考え方と驚くほどよく一致しています。
6.本シリーズが目指すもの
本連載「創世記と量子論の統合宇宙論」は、第一に、創世記の1章をその原語と文脈に基づいて読み直し、それが単なる時間的年代記ではなく、「世界の構造」を語る書であることを明らかにすることを目指します。
第二に、量子論や相対論が示す光速度、非局所性、波動性、未確定性といった現代物理学の成果を整理し、世界の深層構造がどのような性質を持つのかを理解することを目指します。
そして第三に、両者の構造的な共通性を見いだし、霊界・量子層・地上界という「世界三層構造」を軸に、聖書と物理学が示す世界像を、一つの統合された論理として提示することを目標とします。
創世記と量子論は、互いの領域を侵すものではありません。聖書は世界の意味と秩序を語り、科学は世界の仕組みと法則を語ります。
両者はそれぞれ異なる次元から真理を探求しながら、世界の本質が決して単純ではないことを、ともに示しているのです。

