創世記と量子論の統合宇宙論Ⅱ―第3回 創世記の「光あれ」と宇宙秩序の最初の相転移

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1.創世記1章3節の「光」は太陽の光ではない

創世記の冒頭において、最初に語られる神の創造の言葉は、「光あれ」(創世記1章3節)です。

この箇所は、創造の出発点として、きわめて重要な位置を占めていますが、ここで語られている「光」を、私たちが日常的に理解している太陽の光と同一視することはできません。

なぜなら、太陽や星といった光源が造られるのは、創世記1章14節以降、いわゆる第四日の記述だからです。

 神はまた言われた、「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、天のおおぞらにあって地を照らす光となれ」。そのようになった。(創世記1章14~15節)

したがって、創世記1章3節の「光」は、物理的な天体の光ではありません。

それは、被造世界において最初に与えられた、より根源的な何かを指していると理解する必要があります。

創造の最初に置かれているのが物質ではなく「光」であるという点は、創世記の世界観を読み解く上で、決定的な意味を持っています。

 

2.光とは何か―秩序の基準としての光

創世記の文脈において、「光」は単なる明るさや、物が見えるようになることを意味しているのではありません。

光が与えられた直後に、「神はその光とやみとを分けられた」(創世記1章4節)と記されていることからも分かるように、光は区別と秩序を可能にする基準として現れています。

光があるからこそ、闇が存在し、闇として定義されて、昼と夜が区別されるのです。

つまり、「光あれ」とは、世界に最初の秩序原理が置かれた瞬間であり、未分化で混沌とした状態から、区別と構造をもつ世界へと移行する転換点を示しています。

「光あれ」は、被造世界において、世界に秩序とかたちが与えられ始めたことを告げる言葉であったと言えます。

 

3.物理学における光の意味

この理解は、現代物理学における「光」の位置づけとも、驚くほどよく対応しています。

物理学において光とは、単なる電磁波の一種ではありません。光速度は、この宇宙において、情報や因果関係が伝わる上限速度として定義されており、時空構造そのものを規定する基準になっています。

相対性理論においては、光速度が一定であることを前提として、時間や空間の性質が定まります。

言い換えれば、光速度は、この宇宙で「何が先で、何が後か」「何が原因で、何が結果か」という因果構造の枠組みを決定しているのです。

この意味で光は、物理世界における秩序の基準線として機能しています。

 

4.「対称性の破れ」としての秩序の誕生

第2回で見たように、現代物理学では、宇宙の初期において、力が統一された未分化の状態から、冷却とともに分離が起こったと考えられています。

この分離は「対称性の破れ」と呼ばれますが、それは無秩序への転落ではなく、むしろ秩序の誕生を意味します。

対称性が高い状態とは、区別が存在しない状態です。そこから対称性が破れることによって、役割の異なる力や構造が生まれ、宇宙は具体的な形を取り始めます。

物理学において秩序とは、区別が明確になった状態を指しており、その意味で秩序は「分かれること」によって生じるのです。

 

5.「光あれ」=宇宙秩序の最初の相転移

この物理学的理解を踏まえると、創世記1章3節の「光あれ」は、単なる比喩ではなく、宇宙史的な出来事を象徴的に表現した言葉として読むことができます。

それは、宇宙が未分化の状態から、構造をもった世界へと移行した最初の相転移を示しているのではないでしょうか。

相転移とは、水が氷になったり、水蒸気になったりするように、同じ物質がまったく異なる性質を示し始める転換点を指します。

宇宙の始まりにあった「光あれ」は、存在そのものの相転移、すなわち秩序の相転移であったと考えることができます。

 

6.力の分離、とくに重力の最初の分離との対応

現代宇宙論では、力の分離の最初の出来事として、重力が他の力から分かれたと考えられています。

これは、宇宙が「舞台」として成立するための最初の条件が整った瞬間であったと言えます。

時空構造を司る重力が独立することによって、はじめて宇宙は、出来事が起こり、因果が成立する場としての性質を持つようになったのです。

この重力の最初の分離は、「光あれ」によって秩序の基準が置かれたという創世記の記述と、構造的に対応しています。

光が区別と秩序の基準であるならば、重力はその秩序が働くための舞台を確立する力です。

両者は、異なる言語で語られながらも、同じ転換点を指し示していると理解することができます。

 

7.「光あれ」と「対称性の破れ」が示す創造の始まり

創世記は、創造を物質の積み上げとしてではなく、秩序が語られ、区別が与えられていく過程として描いています。

神は言われたという表現が繰り返されるのは、創造が言葉による秩序付与であることを示しています。

この点は、「初めに言があった」(ヨハネによる福音書1章1節)という言葉とも深く響き合います。

現代物理学が語る「対称性の破れによる秩序形成」と、創世記が語る「光あれ」による創造の開始は、別々の世界観に属する説明でありながら、構造的には驚くほどよく一致しています。

どちらも、世界が意味をもった構造として立ち上がる最初の瞬間を語っているのです。

本回では、「光あれ」という創世記の言葉を、宇宙秩序の最初の相転移として読み直し、力の分離、とくに重力の最初の分離との対応関係を整理しました。

次回は、この重力に焦点をさらに絞り、重力がどの「層」に属する力なのか、そしてなぜそれが極端に弱い力として現れているのかを、三層宇宙論の視点から掘り下げていきます。

その考察によって、重力の特異性が、創造秩序の中でどのような必然性をもっているのかが、より明確になっていくはずです。

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