聖書と進化論の限界Ⅱ―第1回 ダーウィンとマルクス:進化論と唯物史観の共通構造

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1. はじめに:なぜダーウィンとマルクスは“対”で扱われるのか

近代思想を語る上で、しばしばダーウィンとマルクスは同じ地平に置かれます。

一方は生命の起源を、もう一方は社会の仕組みを説明しようとした人物ですが、彼らの理論には深い共通点があります。具体的には、次のような特徴です。

 ●世界には意味も目的も存在しない
 ●進歩は盲目的な力によって起こる
 ●闘争こそ世界を動かす原理である

表面的には「生物進化」と「社会進化」という異なる領域に見えますが、その内側にある思想構造は驚くほど類似しています。

本章では、ダーウィンとマルクスの理論がどのように同じ哲学的前提を共有し、その前提がどれほど言語存在論(※)的に破綻しているかを明らかにします。

創造論・ロゴス神学の視点から両者を再検討することで、近代思想の深層に潜む“意味の欠如”という問題を浮き彫りにします。

(※)
ここでいう「言語存在論」とは、言語は単なる情報伝達の道具ではなく、私たちが世界を理解し、意味づけし、存在そのものを把握するための基盤であると考える立場を指します。

言い換えれば、人間は言語を通して初めて「世界」や「意味」や「価値」を理解できる存在であり、言語を切り離して人間や社会を説明することはできない、という考え方です。

 

2. 「偶然」と「闘争」―両者を貫く共通原理

ダーウィンは自然選択による進化を提唱し、マルクスは階級闘争による歴史発展を主張しました。

異なる理論のように見えますが、根底で次のような共通点をもちます。

(1) 偶然によって歴史が動くという信念

ダーウィンは、生命の進化に目的性を認めませんでした。変異は偶然に発生し、偶然に有利な個体が残るという説明です。

マルクスも、歴史に意味や目的を認めず、階級闘争の力学が結果として歴史を形づくると考えました。

そこには神の摂理も、人間の倫理的選択も入りません。両者は、世界に目的や意味を認めない思想という点で一致します。

(2) 世界は闘争によって前進するという理解

ダーウィンの自然選択論は「生存競争」を中心原理とします。マルクスの唯物史観は「階級闘争」を歴史の駆動力とします。

生物も人間社会も、闘争によって進歩するという世界観は、両者が共有する根本的信念です。

言語存在論の立場から見ると、これは重大な問題を孕みます。なぜなら、本来“意味ある存在”である人間を、意味も目的もない闘争の産物として扱っているからです。

 

3. 「意味の不在」を前提にした思想構造の危険性

ダーウィンとマルクスの理論は、世界が無意味であり、盲目的であり、目的性を欠いているという前提を共有します。

しかしこれは、人間が本質的にもち、言語存在論が根拠づける“意味を理解し、善悪を判断し、未来へ希望をもつ力”と完全に矛盾します。その危険性を挙げてみます。

(1) 道徳の根拠が消失する

生物が偶然の産物であれば、「善」は生存に有利かどうかだけになり、社会が闘争によって成り立つのであれば、「正義」は勝者の論理にすぎません。ですから、倫理は生存戦略に矮小化され、人間の尊厳は消えてしまいます。

(2) 人間の価値が消失する

進化論も唯物史観も、人間の精神・言語・倫理を“物質の副産物”として扱います。しかし言語存在論が示すように、意味や倫理は物質からは生じません。意味を理解する人間は、偶然では決して説明できない存在です。

(3) 希望と目的の不在が虚無を生む

意味のない世界観は、自動的に虚無を生み出します。人生に目的がない世界において、幸福や善悪を論じる根拠は失われます。ダーウィンとマルクスの思想は、いずれも世界から希望を奪い、人間の精神を空虚にします。

 

4. 言語存在論が暴く「意味の欠如」という深層構造

言語存在論の観点から見ると、ダーウィンとマルクスの理論には共通の決定的弱点があります。

(1)世界がなぜ理解可能なのかを説明できない

科学が成立するのは、世界が意味の秩序を持っているからです。しかしダーウィンもマルクスも、世界を意味のない偶然の連鎖として説明します。理解可能な世界は、偶然では生まれません。理解可能な世界は、ロゴス(言)によって創造された世界だけです。

(2) 人間の言語能力を説明できない

言語は意味の体系であり、意味は“意図をもつ主体”からしか生まれません。偶然や闘争を前提とする理論では、意味体系としての言語は決して説明できません。

(3) 善悪や価値を説明できない

言語存在論は、善悪判断が意味理解の延長にあることを示します。しかし、闘争を前提とするダーウィン主義・マルクス主義は、善悪の基準を提供できません。

これらの理由から、両者の理論は言語存在論的に見て根本構造が破綻しています。

 

5. 創造論が回復する「意味の歴史」

ダーウィンとマルクスが世界から奪ったのは“意味”です。しかし聖書は、世界がロゴスによって創造され、歴史が意味と目的の中で進むことを宣言します。

(1) 宇宙には目的がある

世界は意味の秩序として造られています。その根源にはロゴスがあり、歴史には方向性が与えられています。

(2) 人間は意味を理解する存在である

言語・倫理・創造性は、偶然では説明できません。人間は神のかたちとして造られ、ロゴスを反映する存在です。

(3) 歴史は摂理の中で進む

階級闘争でも生存競争でもなく、神の摂理が歴史を導きます。人間社会の価値と目的は、闘争ではなく、創造主の意図に基づいています。

ダーウィンとマルクスが提示した“闘争の歴史”とは異なり、聖書は“意味の歴史”を提示します。

 

6. 結論:闘争の思想から意味の思想へ

ダーウィンとマルクスは、世界を意味のない偶然の連鎖と闘争によって説明しました。

しかし人間は、意味を理解し、善悪を判断し、目的を求める存在です。

言語存在論の観点から見れば、人間が“意味を語る存在”である時点で、世界の根源にはロゴスが存在するという結論は避けられません。

ダーウィンとマルクスの思想は、人間の本質を理解するには不十分であり、むしろ人間を“意味なき存在”として矮小化してしまいます。

世界は意味の宇宙であり、人間は意味を創造する存在です。

この事実を最も合理的に説明できるのは、進化論でも唯物史観でもなく、ロゴスによる創造論です。

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