1.見える世界と見えない世界の狭間で
私たちは、目に見えるものだけを「現実」と呼ぶ習慣の中に生きています。
日常の世界では、物がぶつかれば音がし、光を当てれば影ができるという、わかりやすい因果関係が支配しているように見えます。
しかし、20世紀に人間が原子や電子の世界へと深く踏み込んでいったとき、その「わかりやすい現実」は大きく揺らぎ始めました。
そこには、私たちの直感ではとても理解できない不可思議な現象が存在し、物理学者たちを驚かせ続けているのです。この微細な世界の研究が「量子力学」と呼ばれています。
2.聖書と量子力学は同じテーマを見つめている
量子力学は、決して専門家だけの閉ざされた学問ではありません。それは、私たちが存在する宇宙そのものが、どのような仕組みに基づいて成り立っているのかを探求する学問です。
つまり、量子力学は、聖書が語る言葉と方向性こそ異なりますが、「世界の成り立ち」について扱っているという点では共通しています。
聖書は、「初めに神は天と地とを創造された」(創世記1章1節)と語り、量子力学は「世界はどのような法則に従って存在するのか」を追究しています。
表現は異なっていても、その根底には、「世界の根源とは何か」、「世界はいかにして今の姿になったのか」という共通の関心が流れています。
ただ、このシリーズでは、「量子力学が聖書の真理を証明する」といった単純な主張は行いません。
科学と宗教は対立するものでもなく、互いを利用する道具でもありません。
科学は「世界がどのように動いているか」を語り、宗教は「世界がなぜ存在し、どこへ向かうのか」を照らし出し、両者は交わる部分もあれば、異なる次元で語る領域もあります。
私たちは、この二つの世界観を無理に混ぜ合わせることなく、それぞれがもつ光を正しく理解しながら、互いに共鳴するところに注目したいと思います。
「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。」(詩篇19篇1節)
自然界そのものが神の秩序と意図を映し出すという、この古代からの直観は、自然法則を探求する科学の営みと決して矛盾するものではありません。
3.量子の世界に潜む奇妙な現象
量子力学の世界には、常識では考えられない現象が数多く存在します。
粒子が同時に複数の状態にあるように見える「重ね合わせ」や、離れた場所にいる粒子同士が瞬時に影響しあう「量子もつれ」など、一見すると魔法じみた世界です。
しかし、これらは、決して神秘主義的なイメージを語るための比喩ではなく、現代の物理学が実験によって確認してきた事実です。
物理学者の多くは、この奇妙な性質を、数学と実験によって誠実に説明しようとしていますが、なおその本質については議論が続けられているのが現状です。
つまり、量子の世界は、いまなお「解明されつつある神秘」と言うべき領域なのです。
4.聖書が語る「見えない世界の優位性」
一方、聖書は霊的世界の存在を明確に語っています。旧約聖書でも新約聖書でも、見える世界の背後にある霊的現実こそが、人間の歴史と心の内側を動かす根源であると記されています。
たとえば、「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ」(コリント人への第二の手紙4章18節)という言葉は、目に見えない領域の重要性を力強く宣言しています。
聖書は、人間の生き方や歴史の流れを決めるのは、むしろ目に見えない側の世界だと語っているのです。
興味深いことに、量子力学もまた「目に見えないものが物理的現実を決定する」という構造を示しています。
量子の世界では、観測されるまで物の状態がはっきりと決まっておらず、観測された瞬間に現実が確定するように見えます。
この現象は、単に科学技術の限界がもたらすものではなく、量子の性質そのものに根ざした特徴であると考えられています。
この「見えない世界の優位性」という構造は、聖書が語る霊的世界観と共鳴する部分を示しています。
5.科学と宗教を並列させて眺めることで開かれる新たな視点
もちろん、量子力学を霊的世界の代わりに用いたり、聖書の言葉を科学的に証明しようとするのは適切ではありません。
しかし、二つの世界観を丁寧に並べて眺めることで、普段は気づかない新しい視点が開かれることがあります。
たとえば、「量子もつれ」の現象を「すべてのものは見えないつながりをもつ」という多数の聖書箇所と比較してみると、両者が異なる形で「関係性の優位」を語っていることに気づきます。
また、光の特性に関する物理学の研究と、「光あれ」と宣言された創造の第一声を重ねてみると、宇宙が光を中心に展開しているという神学的直観にも新たな深みが見えてきます。
現代の科学と宗教は、対立するものではありません。むしろ、世界の背後にある秩序と意味を探求するという点で、両者は同じ地平を見つめています。
量子力学によって明らかにされてきた「見えない世界の深さ」と、聖書が示す「神の創造のことば」の重さを心に留めることで、これまでとは異なる広がりをもって、世界を見ることができるかもしれません。

