聖書と宗教

多神教の限界

聖書から見た多神教―第5回 なぜ多神教は“根本的な救い”を語れないのか

1.多神教における価値軸の中心―「バランス維持」多神教の世界観を貫く根本的価値は、善と悪、秩序と混沌といった相反する要素の「バランスを保つこと」です。多くの神々が存在し、それぞれが異なる性格や役割を持つと理解される世界では、最も重要な倫理的...
多神教の限界

聖書から見た多神教―第4回 光と影、天国と地獄に対する多神教の誤解

1.自然現象の比喩が善悪理解に流用された背景多神教では、善と悪の関係を説明する際に、「光があれば影がある」という自然現象を比喩として用いることがあります。光が物体に当たれば必ず影が生じるように、善が存在する限り、悪も必然的に存在すると理解さ...
多神教の限界

聖書から見た多神教―第3回 聖書は悪の起源をどのように説明しているのか

1.聖書の出発点―「悪は本来なかった」という世界観聖書の世界観を理解するうえで最も重要な前提は、創造の時点において、悪は存在しなかったという点です。創世記は、神が天地万物を創造されたあと、「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はな...
多神教の限界

聖書から見た多神教―第2回 多神教における善と悪の原初構造

序―「統一原理」から見た善と悪 善と悪とは、同一の意味をもつものが、相反した目的を指向して現れたその結果を指していう言葉なのである。したがって、我々が、しばしば悪であると考えてきた人間の性稟も、それが神のみ意を目的として現れるときには善にな...
多神教の限界

聖書から見た多神教―第1回 なぜ多神教と一神教の比較が必要なのか?

1.多神教が「寛容」や「多様性」の象徴とみなされる現代現代の日本社会では、多神教的な価値観が自然な前提として受け入れられる傾向があります。たとえば、「どの神様も認めれば平和になる」「多神教は寛容で、一神教は排他的」という主張は、多くの人にと...
日本の聖書

【日本の聖書③】共同翻訳で生まれた論争点とは何か―「ヨハネ1:1」はなぜ議論になったのか

はじめに日本における聖書翻訳には、世界でも珍しい特徴があります。それはカトリックとプロテスタントが共同で翻訳した聖書が存在するという点です。1987年刊行の新共同訳聖書、そして2018年の聖書協会共同訳がその代表です。しかし、教派が違うとい...
日本の聖書

【日本の聖書②】日本のキリスト教界で共通の翻訳聖書を採用するに至った経緯

はじめに日本で現在広く使われている新共同訳聖書(1987年)と聖書協会共同訳(2018年)。これらは、カトリックとプロテスタントが協力して翻訳した「共通聖書」です。しかし、最初から一致していたわけではありません。日本でも、戦前〜戦後にかけて...
日本の聖書

【日本の聖書①】カトリックとプロテスタントで共通の聖書を採用しているのは世界で日本だけ?

はじめに世界には多くの国があり、多くのキリスト教徒が聖書を読んでいます。しかし驚くべきことに、「カトリック」と「プロテスタント」が同じ翻訳聖書を使っている国は、世界でもほとんど存在しません。歴史的に見ても、聖書の扱いは教派の違いを象徴してき...