聖書と思想

共産主義批判

聖書から見た共産主義―第4回 神を拒む社会の終末

共産主義は、無神論を出発点として思想を偶像化し、国家権力を「獣」として働かせ、さらに擬似宗教と悪魔崇拝へと変質しました。しかし、聖書は、このような神を拒む社会が最終的にどのような結末を迎えるのかを明確に語っています。そこには厳しい審判の預言...
共産主義批判

聖書から見た共産主義―第3回 全体主義と「獣」の支配

共産主義は無神論から出発し、やがて思想を偶像化し、国家権力と結びついて「全体主義」という形をとりました。個人の自由や信仰を否定し、党と国家が絶対となる体制です。聖書はそのような体制を「獣」として描き、その背後に「龍(サタン)」がいることを示...
共産主義批判

聖書から見た共産主義―第2回 思想や理論が神にすり替わるとき

共産主義は出発点から「神を否定する思想」でした。しかし、神を退けたあとに、人間が空白を放置することはありません。人は何かを拝まずには生きられない存在です。神を否定した社会は、必ず別の「偶像」を立て、それを絶対視します。共産主義が歩んだ道は、...
共産主義批判

聖書から見た共産主義―第1回 神を否定する思想のはじまり

私たちが共産主義を考えるとき、まず根本にあるのは「唯物論」と「無神論」です。カール・マルクス自身が宗教を「民衆のアヘン」と呼び、信仰を社会から排除すべきだと主張しました。宗教は人々を眠らせ、搾取に耐えさせるための道具にすぎないと断じたのです...
輪廻転生批判

聖書から見た輪廻転生―第10回 結論―輪廻転生ではなく復活の希望

1. 輪廻思想が与えてきた慰め人類の歴史において、輪廻思想は長いあいだ多くの人々を支えてきました。死はすべての終わりではなく、新しい生の始まりであるという考えは、人々に安心を与え、死の恐怖を和らげました。自然界の循環に重ねて人間の生死を理解...
輪廻転生批判

聖書から見た輪廻転生―第9回 解脱と啓示、自力と他力の対比

1. 「解脱」という理想への疑問東洋思想において「解脱」は、人間の究極の到達点として語られてきました。しかし、冷静に考えると、そこには大きな矛盾があります。――誰も完全に解脱した人がいないのに、なぜ解脱が語られるのか。仏教でもヒンドゥー教で...
輪廻転生批判

聖書から見た輪廻転生―第8回 輪廻と先祖供養の矛盾と聖書の視点

1. 東アジアにおける独特な融合日本や中国、韓国など東アジア圏では、仏教の「輪廻思想」と儒教の「祖先崇拝(先祖供養)」が長い歴史の中で融合してきました。葬儀や法事では「冥福を祈り」「成仏を願う」と同時に、「ご先祖様がいつも見守ってくださる」...
輪廻転生批判

聖書から見た輪廻転生―第7回 輪廻ではなく「天命の継承」

1. 輪廻思想と一神教的歴史観のはざまでこれまで見てきたように、輪廻思想は「円環的世界観」を前提にし、人の魂が生まれ変わりを繰り返すと教えます。一方、聖書の語る一神教的歴史観は「直線的世界観」を前提にし、歴史は創造から始まり、終末から完成へ...
輪廻転生批判

聖書から見た輪廻転生―第6回 輪廻転生を否定する聖書的理由

1. 神は人間をやり直しを前提に造られなかった輪廻思想の前提は、「人間は一度の人生で完成できないから、何度も生まれ変わって成長しなければならない」という考えです。確かに人は不完全で、人生の中で失敗を重ねます。しかし、聖書の神は、人を「やり直...
輪廻転生批判

聖書から見た輪廻転生―第5回 復活と解脱、二つの救済観の対比

1. 人間の究極的な問い人は誰しも、「死んだらどうなるのか」という問いを抱きます。生まれ、成長し、やがて死を迎えるという避けられない現実の先に、何があるのかを探ることは、人類共通のテーマでした。インド思想はその答えとして「輪廻と解脱」を示し...