創世記と量子論の統合宇宙論Ⅱ―第6回 「重い(オモイ)」と「思い(オモイ)」はなぜ同じ音なのか

この記事は約5分で読めます。

1.序

私たちは日常の中で、「重い」と「思い」という二つの言葉を、まったく別の意味として使い分けています。

しかし、日本語において,、この二つ言葉の発音が同じという事実は、単なる偶然として片づけてよいのでしょうか。

言語は長い時間をかけて、人間の経験と世界に対する理解が堆積した結果として形成されてきました。

その中に残された語感や発音の重なりは、人間が世界をどのように感じ、どのように把握してきたかを映し出す痕跡でもあります。

本回では、「重い」と「思い」という言葉における発音の重なりに注目し、それが示している存在論的な直観が、重力の性質とどのように対応しているかを考察します。

 

2.「思いが通じる」という表現の意味

日本語には、「思いが通じる」という表現があります。この言葉が示しているのは、単なる情報の伝達ではありません。

相手の言葉を聞いたとか、文字を読んだという次元を超えて、距離や時間を越えて、心の内容が相手に届くという感覚が含まれています。

たとえば、遠く離れた人のことを強く思っていたら、その人から連絡が来た、あるいは亡くなった人の思いが、今もなお自分に影響を与えていると感じる、といった経験は、多くの人が何らかの形で抱いています。

これらは科学的に測定できる現象ではありませんが、人間の実感としては、確かに存在しています。

「思いが通じる」という言葉は、意味や感情が、物理的な接触を必要とせずに作用するという直観を、日常言語の中に残している表現と言えます。

 

3.距離や時間を超えて作用するという感覚

この「通じる」という感覚の特徴は、距離や時間が決定的な障害にならないという点にあります。

近くにいなくても、今この瞬間でなくても、思いは働くと感じられるのです。

これは、因果関係を空間的・時間的な連続として捉える近代的な思考から見ると、どこか不思議な現象に見えます。

しかし、人間は本能的に、世界には「目に見える因果」だけでは説明しきれない作用があることを感じ取ってきました。

その感覚は、私たちの日常言語の中でも、「重い」「軽い」という表現が、単なる物理的な重さだけでなく、意味や責任の大きさを表す語として使われていることにも表れています。

その結果、「思い」という言葉には重さの感覚が重ねられ、軽い「思いつき」と重い「決断」を区別する語感として定着しているのです。

 

4.重力の非接触性と遠隔作用

ここで、重力の性質を思い起こす必要があります。重力は、物体同士が直接触れ合わなくても作用します。

地球と月は離れた位置にありながら、互いに影響を及ぼし合い、安定した軌道関係を保っています。

私たちは地面に立っているだけで、地球全体からの引力を受け続けていますが、その力を直接「触れて」感じているわけではありません。

重力は、非接触で働き、しかも距離があっても作用を及ぼす力です。

距離が離れれば弱くはなりますが、完全に消えることはなく、累積的に世界の構造を形づくります。

この性質は、「思いが通じる」という感覚と、構造的によく似ています。

 

5.重力と「思い」の構造的類似

このように、重力と「思い」は、まったく異なる次元の概念でありながら、共通した構造を持っています。

どちらも、接触を必要とせず、距離を越えて作用し、対象同士を関係づける働きを持っているのです。

また、どちらも瞬間的に爆発する力ではなく、時間をかけて関係を形成し、維持する性質を持っています。

この点において、「重い」という言葉が物理的引力を、「思い」という言葉が意味的・関係的引力を指していると理解することは、不自然ではありません。

日本語は、無意識のうちにこの二つを同じ音で表すことで、存在の重さと意味の重さが深く結びついているという直観を言語の中に残してきたと考えられます。

 

6.重力は「存在の引力」

これまでの議論を踏まえるならば、重力は単に物体を引き寄せる力ではなく、存在同士を一つの世界にまとめ上げる力であると言うことができます。

重力がなければ、宇宙はばらばらに拡散し、構造を保つことができません。重力は、存在が存在として関係を持ち続けるための、根本的な条件を与えています。

このように、世界が保たれ続けているという理解は、聖書においても、「万物は彼にあって成り立っている」(コロサイ人への手紙1章17節)という言葉によって表現されています。

ここで語られている「成り立っている」という働きは、物質内部の相互作用というよりも、存在を存在たらしめ、世界を保ち続ける原理として理解することができます。

重力は、この保持の原理が物理的世界に現れた一つの形であると考えることができます。

 

7.思いは「意味の引力」

一方で「思い」は、人と人、人と世界を意味の次元で結びつける力です。

思いがあるからこそ、人は関係を持ち、責任を引き受け、時間を超えて何かを守り続けることができます。

思いが軽ければ関係はすぐに断たれますが、思いが重ければ、距離や困難を超えて関係は保たれます。

この「思いが重ければ」という表現は、単なる比喩ではなく、意味の世界における引力の存在を的確に言い表しています。

思いは人を引き寄せ、関係を持続させ、世界に方向性を与える力として働きます。

 

8.存在の引力と意味の引力

ここで明確になるのは、重力と「思い」が、それぞれ異なる層に属しながらも、同型の構造を持っているという点です。

重力は存在の層における引力であり、思いは意味の層における引力です。

三層宇宙論の枠組みで言えば、前者は量子層から物質層を貫く力であり、後者は霊的層において関係と方向性を生み出す力です。

この二つが同じ「オモイ」と発音されていることは、人間が世界を三層的に生き、感じ取ってきたことの言語的証拠とも言えます。

 

本回では、「重い」と「思い」という言葉の重なりを手がかりに、重力が働く物理の世界と、思いが働く意味の世界との構造的対応を考察しました。

重力が存在の引力であるならば、思いは意味の引力です。

次回は、この「引力」という概念をさらに生命論の領域へと広げ、無重力環境では生命が始まらないという事実に注目します。

そこから、結合、誕生、そして愛というテーマへと議論を進めていくことになります。

タイトルとURLをコピーしました