『人類の犯罪者ルーシェル』第1章3ルーシェルの生涯

第1章 ルーシェルの生涯と彼が引き起こした様々な事件

3 ルーシェルの生涯

ルーシェルは、人間始祖の根本の愛と神様の摂理をすべて知っていました。彼は、神様に対する不安と恐怖、そして自分がいるべき立場をすべて知っていたので、いつも何かに追われるような不安に包まれ、いつかは何か事件が起こるという恐怖感に苦しみながら生きてきたのです。これがルーシェルの生涯でした。

ですから、ルーシェルは不安と恐怖に取り囲まれ、愛と平和の観念を完全に忘れて生きていました。彼は、かつて神様の愛の中で幸福に暮らしていた事実さえ、はるか昔のこととして忘れ、いつも不安と恐怖の囲いの中で生活していたのです。そのような環境の中で、彼は自分の満足を得るために闘争し、自分の思いが実現することを願いました。彼の生活は、このようなパラダイム(枠組み)がずっと繰り返されていたのです。

ルーシェルは、不安と恐怖と一つになって生きていました。神様のことを思えば、愛と喜びと希望と平和と温かい聖霊が連想されますが、ルーシェルのことを考えると、即座に不安と恐怖が連想されるのです。自分のものではない、人のものを盗み、奪い取って自分の思いを実現しようとするので、ルーシェルにこのような不安と恐怖が起こるのは必然的なことです。

このように、ルーシェルの本質的要素は不安と恐怖になりました。それでルーシェルは、いつどこでもそれが発露するのです。いくら心を欺こうとしても欺くことができないように創造されているのが、神様の被造物だからです。

それでは、どうすれば不安と恐怖の枠の中から抜け出して、慈愛なる神様の心情と同じようになれるのでしょうか。それは、自分の位置と自分の身の程をわきまえる道しかないのです。自分の位置ではない他人の位置に居座り、有頂天になって主人の振る舞いをしていれば、いつか真の主人が現れるのではないかと怖くなり、いつも不安になるようになっています。

ですから、ルーシェルは、すべての人に「私は主人ではありません。ちょっと待てば主人が来るでしょう」と言いながら、自分の正体を隠さずに明かせば、彼の心は平穏になるはずです。彼は、謙遜な姿勢を持ち、利己的な要素を捨てなければなりません。他人の位置を欲しがり、主人でない者が主人の振る舞いをするなら、彼の正体はいつかは明るみに出るのです。

ルーシェルは明らかに自分の位置と自分の身の程を越えて、主人の地位を奪った形になりました。不安と恐怖は過分な欲望のために生じたものです。自分を捨てて本来の自己の位置で誠実に生きてこそ、平安と愛と幸福の土台を備えるようになるのです。

今までルーシェルが人類に犯した最も大きな犯罪は、人類に原罪を伝えると同時に、不安と恐怖まで伝えたことです。ですから、人間の心の中に不安と恐怖が残っているということは、堕落の要素が残っていることを意味します。これを清算するのは、人間の努力やただ祈るだけでは不可能です。人間がどんなに努力して祈っても、人類の罪悪史を解決することも清算することもできません。

私たち人類は、この貴い人間の「生」の中で、ルーシェルから受けてきた凶悪な要素を、私たちの体と心の中から追放しなければなりません。そのためには、ルーシェルの正体をくまなく暴き、彼の根源的な要素を根絶しなければなりません。それは静かな沈黙や瞑想の中で、自然に解決されるものでは決してありません。

知らないということでは、神様の前で善にはなれません。知るように努力しなければならず、知ったことで終わってもいけません。皆さんは、学校で知識を蓄えるようになりますが、その知識が知識として終わるのなら、何の意味もないでしょう。学んだことを理解し、実践してこそ、ルーシェルから受けてきた凶悪な要素を追放することができるのです。

長い歳月の間、私たちは、ルーシェルという存在を人類の犯罪者としてのみ理解していたのであって、それを追放する方法論は、誰も教えてくれませんでした。しかし今、私たちはみな、その追放する方法を学び、ルーシェル的要素を根絶しなければなりません。

紛れもない事実は、人類の父母は神様であるという事実です。人類は、神様に侍って生きる永遠不変の父子の関係で結ばれているという事実です。それが事実ならば、人類歴史の前で犯罪者は誰なのか、なぜ私たち人間に2人の主人ができたのかを考えなければならないはずです。おそれ多くも、「2人の主人」という言葉を神様の前で、どうして使うことができるでしょうか。私たち人類の父母は、ただ唯一なるお方だけです。その方が、まさしく創造主である神様です。

それでは、今まで神様は、どれほど心を痛められたでしょうか、どれほど気をもまれたでしょうか、どれほどお待ちになったでしょうか、どれほどむなしかったでしょうか。私たち子女は、神様がどれほど凄惨で孤独な日々を過ごされたかを、繰り返し推し量り、今こそ神様の恩恵に報いて、報恩の人生を歩まなければなりません。

そして、ルーシェルは、自分の本来の位置に帰らなければなりません。万天下の前に贖罪の心情を持って自己の位置に戻り、そこで静かに神様の命令を待ち、その命令に従う姿勢を持たなければなりません。そうして万天下の前で、犯罪者として神様の前に贖罪の心情を持たなければなりません。

彼は、黒い仮面をかぶって大勢の人たちを欺きながら生きてきた長い歳月を、どのようにして回復するかを考え、自分の位置に帰らなければなりません。長い歳月の間に人類にできたあざや傷あとが残っている限り、ルーシェルは頭を上げることができない自分であることを肝に銘じ、神様の下さる命令を待たなければならないのです。

ルーシェルは、真の父母様のサタン根絶の年を迎えて、終結させなければならない歴史的曲折を一つ一つ解き放ちながら、真の父母様の生存時に、それらを締めくくらなければなりません。そして、神様の摂理の前に人類のあらゆる罪悪史を収拾して、自己の位置に戻りなさい。神様のもとでの貴い苦難の歴史は、万天下の前に貴い歴史として残りますが、ルーシェル自身のための暗闇の苦難の歴史は、行けば行くほど神様の前に犯罪者の名として大きな汚点を残すだけです。

どこの誰が分かるでしょうか。私たちの父母に染み付いた傷と痛みと苦難のその場所を。私は、子女として孝行の立場というのは、父母と共に同じ道を歩み、父母の傷をさすり、いやすことだと思います。恨の立場で生きてこられた神様の歴史を、私は子女として万天下の前に告げようと思います。

人類の犯罪者は、今こそ両手を挙げて歴史の前に謝罪しなさい。私たち人類の主人は、ひとえに神様だけであり、私たちの父母だけが永遠に共にいらっしゃるのです。神様の恨の歳月、嘆息の歳月が続いてきましたが、今こそ私は、子女として先駆者となり、ルーシェルを罪に定め、その罪状を万天下に暴露しようと思います。(1999年2月13日)

李相軒先生が霊界から送ったメッセージ『人類の犯罪者ルーシェル』より

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