聖書から見た欧米型キリスト教―第4回 ローマ帝国とキリスト教の制度化・教義化

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※本シリーズでいう「欧米型キリスト教」とは、近代以降の欧米社会において形成された神学的・制度的・文化的キリスト教を指します。

 

1.ローマ帝国がもたらした教会制度

キリスト教は本来、小規模な家庭集会を中心とする自発的な共同体運動として始まりました。

使徒行伝の2章46節に「家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし」とあるように、初期の教会は、親しい交わりと共同生活を中心とする柔軟で開かれた共同体でした。

しかし、4世紀に入ると歴史の流れは大きく変わります。ローマ帝国がキリスト教を公認し、国教化へと進む過程で、教会は帝国の行政モデルに組み込まれていきました。

ローマは高度に組織化された国家でした。

●階層的な行政制度
●官僚組織
●法体系
●軍事的秩序
●領土ごとの統治単位

これらの仕組みが、キリスト教会の組織構造の基礎として採用されていきます。

結果として、本来は柔軟で共同体的だった教会が、次第に“制度としてのキリスト教会”へと変貌していきました。

 

2.序列化—聖職者制度の成立と拡大

ローマ帝国の行政が階層的であったのと同様に、教会もまた階層的制度へと変わっていきました。

●司教(ビショップ)
●司祭(プリースト)
●助祭(ディアコノス)

この司教・司祭・助祭という三職制度は、新約聖書において制度として定められているわけではありません。

しかし、後に制度化される役割分化の要素、たとえば、使徒、長老、執事などの職務が、すでに各所に見られます。

しかし、イエスは「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない」(マタイ福音書20章26~27節)と語られ、支配や序列ではなく、奉仕を教会の本質とされました。

ところが、制度化された教会では、序列が信仰よりも強調される傾向が強まり、聖書的共同体の姿から距離が生まれていきます。

 

3.法文化—教会法というローマ的伝統

ローマが残した最大の遺産の一つは法体系でした。帝国は広大な領土を統治するために、明確な法律、行政手続きを重視し、法治主義を発展させました。

キリスト教が帝国内で制度化されるにつれ、教会内部にも教会法(カノン法)という法体系が構築されていきます。これには次のような特徴があります。

●司教区の管理規定
●聖職者の資格
●礼拝の規範
●異端の定義
●教会裁判制度

このように、教会が法的・行政的仕組みを整え始めたことは、ローマ帝国からの影響を強く受けたことを示しています。

しかし、教会法の発展は、しばしばイエスが語られた“神との生きた関係”よりも、“制度の正しさ”が重視される構造を生み出す原因となりました。

 

4.迫害の発生—制度化と排他性の始まり

初期のキリスト教迫害はローマ帝国によるものでしたが、教会が制度化されていくと、逆に教会自身が異端を迫害する側になります。

正統と異端を決めるのは、単に神学的議論ではなく、次第に政治的・組織的な判断へと変わっていきました。

使徒パウロは「すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。 」(テサロニケⅠ5章21節・新共同訳)と教えましたが、制度化された教会では、吟味よりも統一が優先され、異端審問の土台が形作られていきます。

 

5.ニケア以降の教義闘争—政治と神学が結びつく

西暦325年、皇帝コンスタンティヌスは教会指導者を招集し、ニケア公会議を開催しました。これは、神学者たちの自発的議論ではなく、皇帝による政治的意図に基づいたものです。

(1)アリウス論争と皇帝の介入

アリウスはキリストの本質について独自の理解(被造物説)を持っていましたが、教会内部の分裂を収拾し、帝国の統一を維持しようとする皇帝コンスタンティヌスの強い政治的意向により、異端とされ、ニケア信条が制定されました。

この過程は、神学的真理が政治権力によって決定されるという歴史的転換点でした。

(2)教義闘争の連鎖

ニケア以降も、アタナシウス派とアリウス派の対立、キリストの二性論争(三位一体論)、カルケドン公会議など、多くの教義争いが続きます。しかし、それらの背後には常に、

●皇帝の支持
●貴族階級との結びつき
●地域政治の利害

が介在していました。神学は純粋な探求ではなく、帝国統治の一部になったのです。

 

6.欧米キリスト教に刻まれた法的・組織的性質の源流

ローマ帝国と国家教会制度の形成は、西洋キリスト教の性質に決定的な影響を与えました。それは次の4点に集約できます。

(1)制度としての教会の固定化

教会は組織であり、階層であり、行政単位として理解されるようになりました。

(2)法的信仰の形成

信仰は法として規定されるものになり、教理遵守が信仰の中心へと昇格します。

(3)聖職者中心主義の確立

一般信徒の役割は縮小し、聖職者が仲介者的位置に立つ構造ができました。

(4)正統と異端の政治化

信仰の純粋性よりも、帝国統治と一致するかどうかが重視されました。

このような構造は、聖書が示す本来の姿とは大きく異なります。

イエスは「わたしの国はこの世のものではない」(ヨハネ福音書18章36節)と言われましたが、歴史の中でキリスト教は、この世の国家制度と結びついてしまったのです。

 

7.結論

ローマ帝国がキリスト教にもたらした制度的枠組みは、歴史的必然でもありました。広大な帝国で信仰を保つために組織が必要だったのも事実です。

しかし、その一方で、制度化・教義化によって、聖書の本質が影に隠れる危険も同時に生まれました。

イエスが示されたのは、

・共同体の回復
・神と人の関係の回復
・隣人愛の実践
・心からの礼拝

といった命の息吹に満ちた信仰です。

制度は支えとして必要ですが、制度が信仰の中心を奪ってはならないのです。

次回は、このローマ帝国的枠組みが、中世〜近代においてどのように発展し、欧米文化としてのキリスト教を形成していったのかを詳しく検討します。

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