これまで本シリーズでは、重力の特異性を出発点として、力の分離、秩序の誕生、三層宇宙論、言語的直観、生命の始まりへと議論を進めてきました。
本回では、それらを神学的次元で統合し、「神は愛なり」という聖書の言葉が、創造原理そのものを指し示している可能性について考察します。
ここで行うのは、物理学を神学に還元することでも、神学を物理学で証明することでもありません。
異なる言語で語っている両者が内容が、同じ構造を共有しているかどうかを確認する作業です。
1.聖書に見る神の創造の方向性
聖書を通して読むと、神の働きは一貫して「結ぶ」「一つにする」という方向性を持っています。
創造の物語は、無秩序な状態から秩序を与え、分断されたものを関係づける過程として描かれているのです。
創世記では、神が語ることによって世界に区別が与えられますが、その区別は断絶を生むものではなく、むしろ全体が調和する秩序を成立させる働きをしています。新約聖書では、これがさらに明確になります。
「神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである」(エペソ人への手紙1章10節)という言葉は、神の救済と創造の目的が、万物の統合にあることを示しています。
ここで語られている「一つに帰せしめる」という働きは、単にものを集めることではなく、互いに関係をもって一つになることを意味しています。
そして、このように存在を統合へと導く力こそ、「愛」と呼ばれているものです。
2.愛とは引き寄せ、結び、保つ力
聖書は簡潔に「神は愛である」(ヨハネの第一の手紙4章8節)と語ります。
この言葉は、神が愛に満ちた方であるという感情的な表現にとどまらず、神が存在を結び、保ち、一つにする本質的な性質をもっていることを示しています。
愛の働きを注意深く見ると、それは常に、引き寄せ、結び、保つ方向に働いています。
愛は相手を排除する力ではなく、関係を成立させ、持続させ、回復させる力であり、愛がなければ、結合は一時的な接触に終わり、統合には至りません。
ですから、愛は、存在が存在として存続するための根本的な働きであると言えます。
3.重力とは存在を一つにまとめる力
ここで、物理学における重力の性質と愛の性質を比較してみると、驚くほど似た構造が浮かび上がります。
重力は、常に引き寄せる方向にのみ働き、存在をばらばらにすることはありません。
重力があるからこそ、宇宙は構造を持ち、天体は秩序ある関係を保ち、世界は一つの宇宙として成立しています。
重力は、物体を瞬間的に操作する力ではなく、時間をかけて関係を形成し、全体を保持する力でもあります。
重力が極端に弱く見えるにもかかわらず、宇宙全体を支配しているのは、この力が競争的な相互作用ではなく、存在をまとめ上げる前提条件として働いているからです。
聖書はこの保持の働きを、「神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる」(ヘブル人への手紙1章3節)と表現しています。
ここで語られている「保つ」という働きは、重力が果たしている役割と構造的に重なります。
4.愛と重力の構造的一致
このように見ると、愛と重力は、異なる層に属しながらも、同じ役割を担っていることが分かります。
愛は、存在論的・人格的世界において、関係を成立させ、統合をもたらす力です。
重力は、物理的世界において、存在を一つの宇宙にまとめ上げる力です。
両者に共通しているのは、排除や分断ではなく、引き寄せと保持を本質としている点です。
ですから、愛は意味の世界における引力であり、重力は存在の世界における引力であると言うことができます。
この構造的一致は、偶然の類似ではなく、世界が一つの原理に基づいて創造されていることを示唆しています。
5.創造の原理としての愛と重力
このように理解すると、「神は愛なり」という言葉は、倫理的な教訓であるばかりでなく、宇宙論的・存在論的宣言と読み取ることもできます。
つまり、神が愛であるということは、この世界の根底に、引き寄せ、結び、保つ原理が据えられているということです。
だからこそ、創造は力による支配ではなく、秩序の形成として進み、生命は結合から始まり、世界は分断ではなく統合へと向かいます。
以上のことから、重力が宇宙を一つに保ち、愛が存在を一つに結び続けるという構図は、創造の全体像を理解するための重要な鍵となるはずです。
次回はシリーズの総括として、これまでの議論を三層宇宙論の枠組みの中で整理し、「重力とは何であったのか」という問いに、統合的な答えを与えることを目指します。
重力、愛、創造が一つの構造としてどのように結びついているのかを、最終的に明らかにしていきます。

