『人類の犯罪者ルーシェル』
第1章 ルーシェルの生涯と彼が引き起こした様々な事件
4 ルーシェルの行跡
ルーシェルは、エデンの園で神様のもとを離れ、天道から離脱したがゆえに、神様の属性ではない罪悪から生じた不安、恐怖、憎しみ、ねたみ、嫉妬、欲心といったものにとらわれて生きてきました。神様の本性は、愛、平和、幸福、善といったものです。神様は、このような属性を人間に授けようとされました。
しかし、人間の本性の中には、神様の属性よりも悪の要素が受け継がれ、長い歳月が流れてきたのです。それでも、父母は子女を待ち、子女は父母を探し求めるのが天理原則ゆえに、歴史の前にルーシェルを証人として立て、誤った歴史の出発をきちんと正さなければなりません。
ルーシェルは本来、自分の位置から離脱して偽ってきたので、仮面がはがされることを常に恐れて生きてきました。ですから、ルーシェルの生活は、愛ではなく憎しみに満ちていました。ルーシェルは、いつ自分の位置が奪われるかと不安と焦りの中で生きてきたので、周囲の人をみな競争の対象とみなしてきました。そのためルーシェルは、常に愛よりも憎しみが先立つようになっているのです。そのため、ルーシェルの心は、常にねたみ、嫉妬、欲心などが占領せざるを得ませんでした。
そして、このようなルーシェルの属性、またその行跡と結果が人間に受け継がれ、人間のあらゆる生活の領域に致命的な打撃を与え、それが人間の疾病となったのです。人間の心に平和と幸福と愛が満ちれば、心が安らかになり、病気が生じることはありません。今日、現代人が患う大部分の病は、ルーシェルから受け継いだ罪に起因するものです。そうして時がたつにつれて、その病魔の位置が少しずつ大きくなり、その様態も深刻なものになってきたのです。
現代医学は、病気の根本原因を全く治療することができず、その病気の結果だけを見て治療することに渾身の力を尽くしています。これが現代医学の実情です。
それでは、ルーシェルが引き起こした病気を、どのようにして治療すればよいのでしょうか。今日の病気の大部分は、罪を中心としてできたものです。したがって、病気を治療するときは、その病気とかかわった罪の根をまず抜いてしまわなければなりません。『原理講論』の堕落論で明らかにされているように、罪の根は人間の不倫の愛です。これが人間個々人にその様相を異にして現れるのです。
例えば、「肝臓がん」と言う病名は現代医学がつけたものです。人それぞれ肝臓がんになった原因は違うこともあるでしょう。たばこやお酒で肝臓を酷使しすぎた場合や、相手を憎むあまり憎悪心が肝臓に支障をきたした場合などです。同じ肝臓がんであっても、前者は物理的な要因によって生じた病気であり、後者は精神的要因によって生じた病気と言えます。前者はお酒とたばこをやめて休息を取ることによって治療でき、後者は相手を憎んだ心を悔い改めることによって治療できるでしょう。このように、その病気の治療方法は様々に分類することができます。
しかし、前者にしても後者にしても、根本要因は一つです。それはルーシェルの属性からきたものです。ですから、私たちが病気を治療するときには、目に見える病気の結果に先に依存するのではなく、その病気の根本要因を取り除くことに重点を置かなければなりません。言い換えれば、神様が下さった属性にまず依存しなければならないのです。
現代人が最も恐れるがんという病気も、その根本要因は人間始祖の過ちから始まったものです。したがって、愛、平和、幸福といった神様の属性を中心として、私たちが心からよく与え合うことができれば、ルーシェルの属性は追放されるでしょう。ルーシェルの属性が何千年もの間に渡って受け継がれ、今日に至っているとしても、私たちが神様の属性を中心として生活すれば、ルーシェルは必ず両手を挙げて出ていくようになっているのです。
一つの根本から2人の主人が生じました。主人ではないよそ者が主人に成りすましたという行跡は、今や歴史の前に審判を受け、すべての病魔は、ルーシェルの滅亡とともにこの地球上から永遠に追放されるべきです。
今や私たちは、ルーシェルのあらゆる行跡をあからさまにし、個々人から堕落の根を根絶することに邁進しなければなりません。神様の愛と平和と幸福の花が咲き乱れるその日のために、私たちはみな自分自身を一生懸命に磨き、育てていかなければなりません。(1999年2月25日)
李相軒先生が霊界から送ったメッセージ『人類の犯罪者ルーシェル』より
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