聖書と心身の健康

聖書から見た波動医学―第4回 ラッパの響きと天地を揺るがす振動

聖書の中で「ラッパの音」は、特別な意味を持っています。古代イスラエルの民にとってラッパは、単なる楽器ではなく、神の顕現を告げ、戦いや祭りを導き、共同体を一つにする象徴的な響きでした。聖書には、ラッパの音とともに天地が震え、人々の心が揺さぶら...
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聖書から見た波動医学―第3回 ダビデの竪琴と音楽療法

人間は古代から、音楽によって心を慰め、癒されてきました。現代でも音楽療法が医療や心理支援に活用されており、脳波や自律神経を整える効果が科学的に研究されています。しかし、この「音楽が人を癒す」という思想は、決して新しいものではなく、聖書の中に...
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聖書から見た波動医学―第2回 神の言葉は創造の響き

現代において「波動」「周波数」という言葉は、音楽療法や自然療法の分野のみならず、量子物理学や意識研究の領域でも取り上げられています。すべての存在は振動し、周波数を持つ。私たちの体もまた、音や響きに敏感に反応する存在だという認識が広がりつつあ...
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聖書から見た波動医学―第1回 音と響きがもたらす霊的作用

ここ数年、「波動」「振動」「周波数」といった言葉が、健康や人間の生き方に影響を与えるものとして注目されるようになってきました。音楽療法や周波数ヒーリングといった分野も広がりを見せ、心と体が「響き」によって整えられるという考え方は、多くの人の...
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聖書から見た自己中心バイアス―第4回 メタ認知と「他者中心性」

私たちの心は、気づかぬうちに「自分中心」に偏ります。しかし、それに気づいた瞬間こそ、変化の始まりです。心理学では、自分の思考や感情の動きを客観的に眺める力を「メタ認知」と呼びます。そして聖書は、これを「へりくだり」や「悔い改め」として語りま...
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聖書から見た自己中心バイアス―第3回 哲学的視点から見た自己中心バイアス

「我思う、ゆえに我あり。」デカルトのこの言葉は、近代哲学の出発点とされています。しかし、ここにすでに「自己中心バイアス」の哲学的構造が埋め込まれています。人間の存在を「我(自己)」から出発して考える――それは、神を中心とした中世的世界観から...
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聖書から見た自己中心バイアス―第2回 すべての認知バイアスは自己中心から生まれる

私たちが日々接しているニュース、職場での人間関係、家族との会話――そのすべての中に、さまざまな「バイアス(偏り)」が潜んでいます。正常性バイアス、確証バイアス、集団バイアス、権威バイアス……。心理学では数えきれないほどの偏向が知られています...
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聖書から見た自己中心バイアス―第1回 認知の出発点としての「自己中心性」

私たちは日々、多くの情報を受け取り、判断し、行動しています。しかし、その判断は必ずしも客観的ではありません。心理学では、人間の思考が「自分を中心」に歪む傾向を「自己中心バイアス(egocentric bias)」と呼びます。たとえば、自分の...
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聖書とゼロリスク信仰―第5回 神と共なる世界にこそ真の平安はある

私たちはみな平安を求めていますが、争いや不安、病気や災害のない世界――それが平安だと思いがちです。しかし、もし本当の平安が「リスクのない状態」にあるのだとしたら、この地上に平安を得られる人は一人もいないでしょう。なぜなら、私たちが生きるこの...
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聖書とゼロリスク信仰―第4回 リスクを恐れずに歩む信仰

「失敗したくない」「傷つきたくない」「間違えたくない」。こうした思いは、誰の心にもあります。しかし、その恐れが強すぎると、人は一歩を踏み出すことができなくなります。現代社会では、「慎重であること」「安全第一であること」が美徳とされるあまり、...